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ヴィレヴァンが知らぬ間にマズいことになっていた【再配信】 「遊べる本屋」はなぜ魅力を失ってしまったのか

東洋経済オンライン / 2024年12月29日 8時0分

本屋ではあるが、扱っているのは本に限らず、CDやDVD、あるいは雑貨に洋服、なんでもあり。それぞれの商品にはその商品の魅力を伝えるPOPが書かれ、そこにはちょっとおどけた商品の宣伝が書いてある。

ヴィレヴァンの店舗空間を見て思うのは、「世界観」がそこに形成されていることだ。実際、「ヴィレヴァンっぽい」といったら、私たちはなんとなくそのニュアンスを理解できる。ヴィレヴァンの成功のカギの一つが、このような独特な「世界」を空間的に作ったことにあると思う。

しかし、私は、このヴィレヴァンの世界観を演出する空間戦略にこそ、その不調の原因があると思っている。それを以下の2点から説明しよう。

①ヴィレヴァンを支える「サブカル」という言葉が曖昧になり、その空間も曖昧になった。

②「世界観」を強く訴求することと、消費者のニーズに齟齬がある。

ヴィレヴァンは、よく「サブカル」の聖地だといわれる。歴史的にいえば、メインカルチャーに対する傍流として「サブ」カルチャーといわれることが多く、ヴィレヴァンの創業者である菊地敬一も、ヴィレヴァンの創業にあたって「B級である矜持を持とう」というメモを書いていた。A級ではない、傍流としての「B級」を目指す姿勢がよく現れている。

ヴィレッジヴァンガードに迫った永江朗『菊地君の本屋』には、このような「B級」であるために客を満足させる定番商品リストが書いてある。ウィリアム・バロウズの著作集や片岡義男の本、ジャズに関連する本などがそこには書かれてある。ある程度、どのような顧客に向けて商品を揃えるのかというターゲティングが明確であったともいえる。

しかし、時代が流れ、SNSを通じて人々の好みが多様化した現在、もはや「メイン」や「A級」という考え方自体が、ほぼ消滅してしまった。

それと同時に「サブカル」なるものも、90年代ぐらいまで、カルチャーのメインを作っていたのは、マスメディアだったが、ネットの発達以降、マスメディアの影響力も相対的に低下し、そもそも「サブカル」なる言葉の輪郭が曖昧になってしまった。

サブカルが曖昧になるにつれて、店舗に並ぶ商品や空間構成も曖昧になる。たとえば、最近のヴィレヴァンでは、YouTuberや Vtuberとのコラボレーション商品も多く並ぶ一方で、これまで通りのマイナーな文学作品や同人漫画などの取り扱いもあり、かと思えば売れ筋漫画も置いてあるといった風景で、ターゲティングがあやふやだ。

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