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「奄美にあるハブ屋」が3世代に渡って続く背景 時流読み変化続けるハブ屋のビジネス(前編)

東洋経済オンライン / 2025年1月1日 9時0分

「創業当時は乾燥ハブ、ハブ粉末、ハブ油の製造と卸をしていたと聞いています。1960年代後半からはハブ革製品の製造にも力を入れ始め、なめし職人を複数人抱えていた時期もあったそうです」(長男・武臣さん)

現在2代目社長を務める原武広さんは、宮哉さんの長男で、高校時代から父のハブ捕りを手伝うようになった。当時は自治体から買い取った駆除ハブだけでなく、自分たちで捕ったハブも加工品の原料にしていたという。

「夜、山の中にわざわざ捕りに行くんですよ。最初は怖いから車の中で待っていたんだけど、ハブ捕りは6時間もかかる。車内で1人で待つのも怖くてね。それで親父に付いていってハブ捕りをするようになりました。慣れると面白いのよ。狩猟本能が刺激されてね」(2代目・武広さん)

高校卒業後、武広さんは建築関係の仕事に就いたが、一念発起して大学受験に挑戦。しかし、合格はかなわなかった。そんなとき、武広さんに母親から連絡があった。

「車を買ってあげるから帰ってこない? と言われました。ハブ屋は体力的にきつい仕事です。どうしようかなと迷ったけれど、結局、車に釣られて帰りました」(2代目・武広さん)

帰郷後は、父・宮哉さんから乾燥ハブの製造やハブ皮のなめしを教わり、少しずつ仕事に慣れていった武広さん。1989年には2代目を継いだ。父の代からの得意客の要望に応えていれば家族が食べていけるくらい経営は順調だった。

「ハブの扱いや皮のなめしなど父の仕事を覚えるので精一杯。仕事の帰りに屋仁川(奄美市の繁華街)に飲みに行ければいいと思っていたし、そんなに向上心もなかった」と本人は謙遜するが、いまも提供しているハブのショーやハブ骨を活用したブレスレットは武広さんが考案したものだ。

「ショーは、ホテルに勤めていた友人から結婚式や本土から来た学校の先生の歓迎会でハブを見せてもらえないかと言われて始めました。好評だったし、1回の出張費も少しずつ上がっていったけれども、外にハブを持ち出して逃げたりしたら危ない。それで出張はやめて、1989年から原ハブ屋のガレージでショーをするようになりました」(2代目・武広さん)

観光客から人気を集めたハブショー

ショーは1回30分。ハブを殺すのは嫌だった、という武広さんはマングースを使わず、ハブやほかのヘビだけを使って奄美の自然や文化を楽しく学べる内容を考えた。武広さんの軽妙なトークで、ショーは次第に観光客や帰省客の人気を集めるようになった。

その後、武広さんは卸を継続しながらも、自社商品を自分たちで販売する製造小売業への転換を目指す。奄美市中心部の店を奄美空港から車で10分ほどの同市笠利に移転することを決め、新店舗の建設を始めた。

ところが、新店舗建設のための借り入れを機に、店の経営状態が悪化した。武広さんがSOSを出したのは大学を卒業して福岡で働いていた長男、武臣さんだった。

後編:「奄美にあるハブ屋」使用禁止Xデーに向けた対策

横山 瑠美:ライター・ブックライター

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