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タクシー乗り放題1円「昭和の始まり」どんな時代? 「2025年は昭和100年!」当時を振り返る

東洋経済オンライン / 2025年1月1日 13時0分

各社から次々に発売される円本により、大儲けしたのは出版社ばかりではなかった。本が売れれば売れるほど、著者には印税収入がもたらされる。円本ブームには、にわか成金文士の洋行ブームなどというオマケまでついた。

少年たちの心をつかんだ「のらくろ」の登場

昭和6(1931)年、大日本雄弁会講談社が発行する月刊誌『少年倶楽部』に登場したのが、田河水泡作の漫画『のらくろ』である。

主人公は真っ黒な宿なし犬の「野良犬黒吉(通称:のらくろ)」。この愛嬌たっぷりのキャラクターが、ブル大佐が率いる猛犬連隊に入隊、二等兵となって大活躍し大人気となった。

『少年倶楽部』に連載されていた『のらくろ』は、単行本(全10巻)が発売されると、瞬く間に150万部のミリオン・セラーとなった。その人気は戦後も衰えることがなく、続編や復刻版も発行された。

同じ時期には、巷(ちまた)の紙芝居漫画に、『黄金バット』(永松武雄・加太こうじ作)という勧善懲悪のスーパー・ヒーローが現れる。戦前の大衆文化史で、「漫画」というジャンルは一服の清涼剤であった。

サブカルチャーに光を当てると、歌の世界では西条八十作詞・中山晋平作曲で知られる『東京行進曲』がヒットしていた。

昭和4(1929)年、『東京行進曲』が佐藤千夜子の歌で大ヒットした。同年に公開された同名映画の主題歌である。問題はその歌詞だ。

「昔恋しい 銀座の柳」で始まる『東京行進曲』の第4連は、「シネマ見ましょか お茶飲みましょか/いっそ小田急で 逃げましょか」となっている。

だが、磯田光一の『思想としての東京』(講談社文芸文庫)によると、ここの歌詞はもともとは、「長い髪して マルクスボーイ/きょうもかかえた 赤い恋」というかなり過激な内容だった。

これは、「大衆」と「プロレタリアート」という二つの影が、サブカル的に重なり合った奇跡的瞬間であった。

「大学は出たけれど」の時代へ

昭和はやがて、暗黒の時代へと向かってゆく。その予兆は、同じ昭和4年の流行語「大学は出たけれど」にも現れていた。

端的にそれは、第一次世界大戦で漁夫の利を得た日本にとって、束の間の好景気の反動を意味した。大卒男子は就職もできず、不遇な「高等遊民」に甘んじるしかなかったのだ。

昭和の名匠・小津安二郎は早速、松竹で同名の『大学は出たけれど』のタイトルで映画を撮っている。

大卒就職率30%という不況下で、大卒の息子は故郷の母親に就職が決まったと嘘の電報を打ち、安心させようとする。しかし、これが逆効果となった。母親が婚約者を連れて上京してくるのだ。息子の嘘を知った婚約者は、母親に真実を知られまいと、カフェで働き始めるという展開になる。

小津監督は、この主題を昭和11(1936)年になって反復する。『一人息子』がそれで、不況時代に苦学して夜学教師となった息子を頼って上京する母親が、妻帯者となっている息子の厳しい現実を見せつけられるのだ。

こうして昭和は、軍部の台頭、世界恐慌の煽りで、全体主義の時代へと舵を切ってゆくことになる。

高澤 秀次:文芸評論家

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