軍師「黒田官兵衛」も読めなかった"我が子の行動" 頭が良すぎるために秀吉すら警戒した軍師
東洋経済オンライン / 2025年1月2日 18時0分
大河ドラマ『軍師官兵衛』でも話題になり、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に仕えたことで知られる戦国武将の黒田官兵衛。武将の中でも作戦を立てたりする参謀役・軍師として秀吉を支えました。秀吉が天下を取れたのは軍師官兵衛の力が非常に大きかったといわれているのです。日本史好きでポッドキャストラジオ番組「あんまり役に立たない日本史」(第5回ポッドキャストアワード優秀賞)や、歴史トークイベントも開催するお笑いコンビ「しろっぷ」のじゅんぺい氏が上梓、駿台予備学校の須藤公博氏が監修した『おかげさま図鑑: すごい人もひとりじゃなんにもできなかった!』を一部抜粋・再構成し、黒田官兵衛がどんな人物だったのか、紐解いていきましょう。
「両兵衛」の絆
黒田官兵衛と同じく秀吉の軍師として活躍した竹中半兵衛。どちらも名前に「兵衛」がつくので、総称して「両兵衛」とか「二兵衛」と呼ばれていますが、この竹中半兵衛との絆が、黒田官兵衛にとってはとても大きなものだったんです。
【写真】『おかげさま図鑑: すごい人もひとりじゃなんにもできなかった!』(しろっぷ じゅんぺい)
黒田官兵衛が秀吉の軍師として活躍する少し前の1578年、小寺家の一武将として、中国地方の武将たちを織田信長方に引き入れる仕事をしていたとき、もともと織田方についていた荒木村重が摂津有岡城で謀反を起こしました。「僕が説得してきます」と、官兵衛は村重の城に行くのですが、残念ながら説得は失敗。決裂しただけじゃなく、牢屋に幽閉されてしまいます。
官兵衛が捕まっていることを知らない信長は、「説得しに行くとか言っといて、村重の方についたんだな」と考え、秀吉に「人質として捕らえていた黒田の息子の長政(松寿丸)を殺しちまえ」と命令するんです。そのとき、「わかりました。私がやりましょう」と言って手を挙げたのが、竹中半兵衛でした。
そして、竹中半兵衛は秀吉・信長のもとに「お待たせしました。これが黒田官兵衛の息子の首です」と持ってきたのですが、実はこれ、どこかの子どもの死体から取ってきた偽物の首。「官兵衛が裏切るわけがない」と信じた竹中半兵衛は、長政を匿って別の首を差し出したという、エピソードが残っています。
1年後に荒木村重が戦で敗れて、官兵衛は救出されたのですが、信長や秀吉は「官兵衛は裏切ってなかったんだ。それなのに息子を殺してしまった」と号泣。後に、実は竹中半兵衛が匿ってくれていたことがわかり、竹中半兵衛に感謝したという逸話があります。残念ながら、そのときすでに竹中半兵衛は病気で死んでいましたが、官兵衛が大河ドラマになるような大活躍をしたのも、竹中半兵衛との友情や絆があったからこそだったんですね。
頭が良すぎて、秀吉から避けられる
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