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明治の「日本の工業化」こんなにも凄かった理由 地理と日本史を同時に学ぶことで見える視点

東洋経済オンライン / 2025年1月9日 19時0分

明治維新以降の工業化の背景にあるのは、外国人を誘致して、そのノウハウを譲り受け、安価で豊富な労働力によって安い商品を作り、海外に販売していったことが挙げられます。

明治政府は多くの工場を設置し、それを手本として民間産業の発達を促しました。中でも、世界遺産となっている群馬県の富岡製糸場には、明治5年の時点でフランスから輸入した最新式の繰糸機を設置し、フランス人の技術者を招いて、教えも乞いました。この工場で製糸訓練を受けた日本の女工たちは、全国の製糸工場で次の世代の技術指導に当たったといわれています。また、軽工業分野以外でも、多くの分野で外国人技術者を高待遇で招き、そのノウハウを譲り受けていたといわれています。

そして受け継いだノウハウをもとに、日本人の労働者たちを多く雇って工業を発展させました。当時はまだ労働者たちの賃金も高くなかったため、安価な労働力がたくさん確保できたのです。当然その分商品の値段も安く抑えられますから、ヨーロッパの商品よりも安い値段で輸出することができたのです。

19世紀末から20世紀初頭にかけて、日本は繊維産業で世界市場に進出し始めました。この時期、主にアジア市場向けにほかの国より安く繊維製品を輸出し、繊維産業が日本の主要輸出品となりました。値段の面で勝てなかった外国からは「ソーシャルダンピング」と批判されたといわれている……というのは日本史の教科書に載っていることですね。

19世紀の時代から、ここまで徹底的に外国の技術を真似することができた国は、おそらく日本を置いてほかにないと言えるでしょう。当時「日本は外国の真似事ばかりだ」と揶揄されたという話もありますが、外国の技術を取り入れたからこそ、工業化に成功したという側面もあるのではないかと考えられます。

中国の清朝も同じように外国の技術を取り入れる洋務運動を行ってはいましたが、日本ほど徹底的には真似することができなかったともいわれており、これが日清戦争の勝敗を分けた原因なのではないか、ともいわれています。

人口増加で労働力も確保

もう1つ日本にとってプラスに働いたのは、明治維新以降の人口の増加でした。

江戸時代までは基本的に食べなかった肉も食べられるようになり、動物性タンパク質の摂取で食生活が改善され、人口が爆発的に増加しました。

また、西洋医学が取り入れられ、公衆衛生も改善されるようになりました。

明治初期(1868年~1870年頃)の日本の人口は約3300万人だったといわれていますが、1920年に初めての国勢調査が行われた際の人口は約5600万人だったとされています。50年ほどで約2300万人も増加していることがわかります。

そして増加した人口が、安価な労働力として、工場労働に従事するようになったのだと考えられます。

この当時の日本の工業化は、第2次世界大戦後の多くのアジア諸国の経済発展のパターンと重なる部分も多いでしょう。日本は技術者を誘致していたわけですが、中国やそのほかのアジア諸国も外国企業を誘致して、日本が昔やっていたことと同じことをしていたのです。

いかがでしょうか? 地理的・経済的な知識があると、日本の歴史もより深く理解できるようになります。地理の勉強と日本史の勉強は密接に関わっているのです。ぜひ、日本史の勉強をする受験生や、社会人の皆さんには、地理にも目を向けてみていただければと思います。

宇野 仙:駿台予備校地理科講師

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