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遊女を紹介「吉原の情報誌」巡る江戸の版元の変化 蔦屋重三郎も「吉原細見」の販売から事業開始

東洋経済オンライン / 2025年1月18日 9時0分

そこで京都系の書商に対抗するため、江戸の書商は「地本問屋仲間」を結成するのです。地本とは、江戸で出版された大衆本(草双紙、絵双紙など)のこと。「書物問屋」というものもあり、こちらは、歴史書や仏教書・儒学書などお堅い書物を販売していました。18世紀も中頃になると、江戸の出版物数が、上方を上回るようになりました。

重三郎は、ちょうどいい時期に出版業に携わることになったと言えます。それにしても、江戸の老舗出版社である鱗形屋と、重三郎がどのようにして結び付いたかは興味あるところです。

残念ながらそのことに関する史料はなく、その点を明確にすることはできません。

重三郎と同時代の狂歌師・石川雅望は、重三郎のことを「志気英邁にして、細節を修めず、人に接するに信を以す」(「喜多川柯理墓碣銘」)と評しています。

人に抜きん出た優れた気性を持ち、度量が大きく、細かいことにはこだわらず、信義を重んじたという意味です。

重三郎は人格者だったということですが、そうした人間性が、人々を惹きつけて、鱗形屋との接点が作られたのかもしれません。

また、重三郎の養家が、鱗形屋と何らかの関係を持っていたということも推測されます。とにもかくにも、重三郎は鱗形屋の系列に入り、活動していくことになるのです。

「一目千本」を刊行した重三郎

1773年から「吉原細見」の販売を始めた重三郎ですが、翌年7月には、初めて、書籍を刊行します。遊女の評判記『一目千本』です。

この書物の口絵を描いたのは、浮世絵師の北尾重政(1739〜1820)です。

重政は、本屋・須原屋三郎兵衛の長男として生まれました。本来ならば、長男の重政が家業を継ぐべきなのでしょうが、彼はそれをせず、弟に譲っています。絵のほうに興味があったのでしょう。

独学で絵を学んだ重政は、役者絵などを描き「浮世絵界の権威者」「鈴木春信に次ぐ有力画家の一人」とまで現代で評価されています。

その「権威者」の北尾重政に絵を描いてもらえた裏には、鱗形屋の後援があったと想像されます。そして鱗形屋の後援を得られたということは、重三郎の仕事ぶりが認められていたということがあるのでしょう。

(主要参考引用文献一覧)
・松木寛『蔦屋重三郎』(講談社、2002)
・鈴木俊幸『蔦屋重三郎』(平凡社、2024)

濱田 浩一郎:歴史学者、作家、評論家

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