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日本人なら懐かしい「歌の昭和史」総ざらい(中編) 「何曲知っているか」で"読者の年代"がわかる?

東洋経済オンライン / 2025年1月26日 12時1分

この曲も映画の挿入歌で、タイトルは当初『赤いダイス』が予定されていた。しかしヒット曲にあやかり、そのままの『南国土佐を後にして』に変更になった。監督は斎藤武市、主演は小林旭である。

元博徒の流浪を描いたこの作品が当たって、後の小林旭の「渡り鳥」シリーズが生まれることになった(朝日新聞学芸部編『戦後芸能史物語』参照)。

昭和36(1961)年の『上を向いて歩こう』と、昭和38(1963)年の『こんにちは赤ちゃん』は、ともに作詞・作曲が永六輔と中村八大のコンビである。

前者は『スキヤキ(SUKIYAKI)』のタイトルで全米ビルボード・チャート3週連続1位に輝き、世界70カ国で発売された。空前絶後の快挙である。作曲の中村八大は、元はジャズ・ピアニストだった。

六輔・八大・坂本九の3人は、その後、「六・八・九トリオ」として数々のヒット曲を送り出す。

表には入っていないが、昭和34(1959)年の日本レコード大賞の第1回も、六輔・八大コンビ(歌は水原弘)の『黒い花びら』だった。こちらは純粋な歌謡曲調で、映画『青春を賭けろ』(夏木陽介主演)の挿入歌として、「六・八」の2人が初めて歌謡曲を手がけたものだ。

マルチに才能を発揮した永六輔

作詞の永六輔に関しては、プロの作詞家でさえなかった。

出身は「冗談工房」という、三木鶏郎(作詞・作曲・構成作家)が主宰していた制作者集団。ここで彼は、無名時代の野坂昭如や五木寛之らとともに、作詞から番組構成のノウハウまでを学んだ。

現在のバラエティ番組の基礎は、知る人ぞ知るプロダクション「冗談工房」が築いたと言っても過言ではない。

『上を向いて歩こう』と同じ昭和36(1961)年に60万枚を売り上げたのが『スーダラ節』だ。

植木等をリードボーカルとするクレージーキャッツの一連のヒット曲の作詞家は青島幸男。後にタレントから直木賞作家となり、東京都知事も務めた。青島はレコード会社に属さない、インディーズ系作詞家(なかにし礼、阿久悠に先行する)の草分けだった。

以上、終戦後から昭和30年代までのヒット曲を見てきたが、こうして見ると、やはり「歌は世につれ世は歌につれ」、時代と人間が新たな歌を生み出す本質に変わりはない。

*この記事の前編:日本人なら懐かしい「歌の昭和史」総ざらい(前編)

*この記事の後編:日本人なら懐かしい「歌の昭和史」総ざらい(後編)

高澤 秀次:文芸評論家

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