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モラハラで「妻子に去られた夫」たちが集い語る事【再配信】 「モラハラDV加害者」は本当に変われるのか?(後編)

東洋経済オンライン / 2025年1月29日 8時5分

僕は、変わる人たちが増えてくると、ようやく「人は変われる」という認知になって、だからこそ加害者は加害者であることを認められるようになると思います。なぜなら、「加害者は変われない」と世間で言われているなかで、加害者であることを認められる人はごくわずかです。認めることに何のメリットもないから。

しかし、加害者は変われるという認知が社会にあり、そのための学習資源や共同体があるなら、それを認めるメリットがあります。そこで学ぶことで、パートナーシップや親子関係、職場の問題を改善できれば、本人にとっても生きやすくなるからです。

実際に変わった事例はいろいろあるんです。たとえば、児童相談所や警察が呼ばれるような虐待・DVをしていたところから劇的に変わった人もいるし、僕のようにパートナーとの関係が変わっていまは幸せに暮らせているような人もいます。離婚はしたものの、そこから子どもも含めて新しい家族の形を生きている人もいます。

GADHAは、加害者が主体となって「変われる」という事例を社会に発信していくことで、「加害者は変われない」というスティグマを剥がし、それによって自身を加害者と認められる人が増えていく、という好循環にたどり着くことを目指しています。

「自己憐憫」は加害者が非常に陥りやすい状況

――中川さんの著書『孤独になることば、人と生きることば』に、加害者が変容するときの苦しさについて書かれています。なぜ苦しいのでしょう?

加害者の多くは、自分を悪い人だとは思っていないんです。「よかれと思って、やるべきことをやっていただけなのに、あれが暴力だったんだ」とわかると、自分を説明する言葉やアイデンティティがガタガタと崩れていく。自分というものが曖昧になって、すごくしんどくて、鬱になる人も少なくありません。

ここでポイントになるキーワードが「自己憐憫」です。自己憐憫は、加害者が非常に陥りやすい状況です。「環境のせい」「親のせい」と人のせいにして、「自分はかわいそう」という思いに捉われる時期が、絶対にあるんです。だって、誰も加害者になりたくてなっているわけではないですから。

でも、あなたが受けた被害はあなたのせいではないかもしれないけれど、あなたが人を傷つけてきてしまったことは事実で、あなた自身が動き始めることでしか、あなたのことは変えられない。だからGADHAでは、「自己憐憫ではケアに進まないですよ」という話をします。自己憐憫している間は、周りに「許してくれ」と言っているだけ。つまり「ケアの要求」をしているだけなので。

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