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「しれっと訂正した文春」フジとの"ズルい共通点" 批判の矛先が次は週刊文春に向かっているが…

東洋経済オンライン / 2025年1月30日 15時45分

現在、両社が批判にさらされているのは、そんな「昭和・平成の悪しき感覚や対応を令和の世に引きずっている」という共通の問題点によるものではないでしょうか。

今なお週刊文春とフジテレビが大きな影響力を持つメディアであることに変わりはない一方、世間の人々は情報を得て賢くなり、発信の場を持った今、以前のような感覚や対応では通用しなくなっているのです。

逆に今後この点を改善しなければ、メディアとしての信頼性は失われ、ガバナンスの不安を感じさせていくでしょう。もちろんそれは業界内の他社にとっても他人事ではなく、反面教師にするべきことにほかなりません。

決めつけて感情的な声をあげない

ここまでメディアの時代や人々に合わない感覚や対応の問題点をあげてきました。ただ、「メディアはすべて時代や人々に合わせなければいけない」というわけではないでしょう。

実際、週刊文春の第1弾は内容の裏付けがまだ十分とは言い切れなかったのであれば、最初からそれを正直に明かしたうえで報じていればよかったし、少なくとも再会見の前に謝罪しておけばここまで批判されなかったのではないでしょうか。

時代も人々も「完璧」や「間違えないこと」を求めがちですが、そうしなければいけないというわけではありません。今回はそのような開示や謝罪がなかったため、「週刊文春は取材が十分とは言えない段階でも記事を出してしまう危ういメディア」とみなされてしまった感がありました。

また、フジテレビの会見は時代や人々の変化を踏まえると、最初からオープンにすべきだったことは間違いないでしょう。

ただ、2度目は10時間半もかかって記者の質や態度が問題視されたことから、最低限の実績を踏まえた選別、質問範囲の限定、運営・進行の工夫などが必要だったのは明白。時代や人々に合わせてサンドバッグのように無抵抗で攻撃され続けるのではなく、合理的な方法を提案して理解を得ようとすればいいでしょう。

一方、メディアからの発信を受ける私たちはどうすればいいのか。

週刊誌などの記事には不確かな情報が混じり、臆測を交えたものも少なくないことをわかったうえで接すること。さらに一方の報道や対応だけを信じて感情的な声をあげないことが大切ではないでしょうか。

たとえば今回のケースで言えば、初動対応で「関与していない」と発表したフジテレビを「嘘をつくな」と決めつけて批判するのではなく、「文春が間違えているかもしれない」という見方も持つべきでしょう。

それでもメディアの存在意義は大きい

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