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教育困難校通った彼女が"幸せ"だったと話す背景 学校内では様々なトラブルがあったものの…

東洋経済オンライン / 2025年1月31日 9時20分

そんなA高校の授業は、「各科目のレベルは初歩的なもの」。高田さんによると、英語はアルファベットから授業を開始し、社会のテストでは、首相の写真を見て名前を当てはめるという、簡単な内容でした。

宿題はみんな一切やってこないために、どの科目でも出ることはなく、夏休み・冬休みの課題すらありませんでした。

また、先に述べたように、大学進学者はわずかだったA高校。大学受験では、一般入試を受ける人はあまりおらず、指定校推薦を利用する生徒が多かったようです。

高田さん自身は剣道部の個人戦・団体戦で県大会に行った経験や、自費でニュージーランドに3週間行った経験を生かし、推薦で志望した大学に進学することができました。

一方で、先生と生徒との仲も悪くなく、いさかいはほぼなかったようです。

生徒も無気力ではなく、先生の助けを得ながら部活や行事には一生懸命に取り組んでいたと高田さんは当時を振り返ります。

「変わった先生がとても多かったですが、先生方は生徒に対しては優しかったですね。英語の授業では、先生が聞き馴染みの歌を歌ってから、英語の歌詞を隠し、『ここをなんて言っていたか?』と聞いて、生徒が集中して勉強できるよう工夫していました。それで実際に、勉強に興味を持つ生徒もいました。

私は校長先生と仲がよかったですね。校長先生は、生徒の名前をすべて覚えていました。校長室で仕事をする人ではなく、ずっと学校中を歩いて、生徒の様子を見ている先生でしたね。私が勝手に校長室に入って、校則違反の携帯電話をこっそりいじっていたことがあったのですが、校長先生に見つかっても、『俺は見てないからな!』と言ってくれたことがありました(笑)」

学校は、個性的な格好をした先生など、変わった先生だらけだったようですが、生徒とは和気あいあいすごしていたようです。

教育困難校に通ったことは後悔せず

困ったこともあったものの、高田さんはこの学校を出たことにまったく後悔はないそうです。

「大人になった今もいちばん仲が良い子は、同じ高校で出会った友達です。一生の友達を学校で得ることができました。学校で夢とか目標は見つからなかったですし、私と同じように目標がない子も多かったですが、今思うといい先生も多かったし、熱心だったし、その先生たちが、私の人生を生きるうえで基準になっている大人たちなので、とても大事な日々を送れたと思います」

現在、夫と2人の子どもにも恵まれ、今でも高校時代の友人が一番連絡を取ることが多いと語る高田さんからは、偏差値が低い高校に通ったとしても、結局は自分がその環境でどう楽しめるか、何を吸収して今後の人生に生かすことができるのかが一番大切なのだと考えさせられました。

濱井 正吾:教育系ライター

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