1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

猫のように自由な心で生きるための重要なヒント 怒らニャい禅語:感情をシンプルに整える60の方法

東洋経済オンライン / 2025年2月8日 13時0分

(写真:『怒らニャい禅語: 感情をシンプルに整える60の方法』より)

日ごろ、私たちは、つい人と自分を比べてしまうことがあります。そして、自分は人より「いい、悪い」「できる、できない」「上だ、下だ」などと判断しては怒ったり、喜んだり、落ち込んだりしています。

たとえば、会社の同期が自分より早く出世したら「負けた」とがっかりし、SNSで友人の楽しそうな写真や知人の活躍ぶりを見ては、置いてけぼりを食ったような気持ちになる。そんなことはありませんか?

それは、「二元論」でものごとを考えているからです。善悪、好悪、美醜……、ふたつの対立した概念でものごとを考えることを、二元論と言います。

この二元論にとらわれている限り、心が休まることはありません。いつまでも「隣の芝生」を気にして、ため息をついていなければなりません。隣の芝生はいつでも青いし、いつまでも青いのです。

禅では、二元論から解き放たれ、自由に生きることを教えます。ものごとの良し悪しを判断せず、運命に任せ切って生きる。眼前のことだけに心を向け、むやみに力んだり、へりくだったりすることなく、ただ一途に行動する。

これが、禅が教える生き方なのです。猫のように自由な心で過ごす。そのヒントをお伝えしましょう。

※本稿は枡野俊明著『怒らニャい禅語: 感情をシンプルに整える60の方法』から一部抜粋・再構成したものです。

莫妄想(まくもうぞう)

妄想(もうそう)は、もう終わり。
「いい」も「悪い」も、自分が作り出している。

【猫写真を見る】猫のように自由な心で生きるための重要なヒント

禅で言う「妄想(もうぞう)」は、私たちが日常で使う「妄想(もうそう)」とは違います。

それは、善と悪、美と醜、生と死、ふたつの対立的な考え方にとらわれることをさします。

たとえば、花が盛りの時は美しく、枯れたら醜い。私たちは、そのようにとらえがちです。はたして、本当にそうでしょうか。

純粋な目で見れば、花は自然の移ろいゆく姿を、その時々でありのままに映し出している。ただそれだけです。

「莫妄想」は、「妄想することなかれ」という意味。対立的な考え方そのものも、その考えにとらわれることも、思い込みに過ぎません。

その思い込みを手放した時、ものごとの本質が見えてくるのです。

他不是吾(たこれわれにあらず)

あなたになれるのは、あなたしかいない。
あなたを成長させられるのは、あなた以外にいない。

道元禅師が中国に渡った時、炎天下でしいたけを干している年老いた典座(てんぞ・料理係。位の高い僧が担当する)に会いました。腰の曲がった典座に、禅師が「なぜ若い僧にやらせないのか」と聞いたところ、返ってきた答えがこの禅語です。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください