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「米軍がソ連機を飛ばしていた」だと…? 冷戦下の「極秘ミッション」なぜ行われたのか

乗りものニュース / 2024年4月21日 19時12分

YF-110戦闘機とともに写真に収まる第4477試験評価飛行隊のクルーたち(画像:アメリカ空軍)。

ソ連との冷戦下にあったアメリカ空軍では、ソ連製の戦闘機を秘密裡に飛ばす部隊が存在しました。なぜ敵国の戦闘機をあえて飛ばしていたのか、その経緯を見ていきます。

最初はソ連製っぽい米国機を使っていたが…

 ソ連との冷戦下にあったアメリカ空軍には、敵国であるソ連製の戦闘機を飛ばす部隊が存在しました。極秘で進められたこのミッションはどのようなものだったのでしょうか。

 1960年代にベトナム戦争が始まると、米軍の戦闘機パイロットたちは朝鮮戦争以来となる戦闘機同士の空中戦を経験します。そこでは、北ベトナムが使用するソ連製戦闘機に、重装備で高性能だったはずの米軍機が苦戦を強いられました。戦闘機同士の空中戦以外にも対空砲や対空ミサイルにより米軍機の消耗が増えていました。

 対策を迫られた米軍は、ソ連製戦闘機に対して有効な戦法の研究と、それをパイロット達に伝授する方針を決定。そして、戦闘機兵器学校でそれが実施されることになりました。同学校は、海軍はミラマー海軍航空基地(後にファロン海軍航空基地に移動)、空軍はネリス空軍基地にそれぞれ置かれています。

 戦闘機兵器学校で行われた訓練では、教官が操縦する仮想敵機に米軍機を使用し、ソ連流の考え方とソ連流の飛行を教官たちが再現することで、実戦に近い状況の空中戦を展開しました。これは海軍も空軍も共通でした。

 仮想敵機役には飛行性能がソ連製戦闘機に似ているとされる機種が使用され、ミグ17役はA-4「スカイホーク」、ミグ21役にはF-5E「タイガー」がそれぞれ使用されました。

 しかし、ソ連との全面戦争も想定していた米空軍では、より実践的な空中戦の訓練方法を考えます。実物のソ連戦闘機を入手して、その性能と空戦能力を徹底的に研究し、さらに仮想敵機として教材に使用する極秘計画を始めました。

極秘ミッションは「コンスタント・ペッグ計画」に

 この計画は「コンスタント・ペッグ計画」(Project Constant Peg)と命名され、その全てが極秘とされました。その名前の由来は、「コンスタント」が計画を承認したバンデンバーグ少将のコールサインで、「ペギー」は計画発案者でもあるゲイル・ペック大佐の妻の名前です。

 この極秘計画のために選ばれた場所はネバダ州ラスベガスの北に広がる砂漠地域。そこには核実験のためにエネルギー省が管理する広大な立ち入り禁止区域があります。また、上空には飛行禁止空域が設定されていて民間機は飛行することができません。その一角にはUFOの噂がある「エリア51」もあります。

 そんな砂漠の真ん中にあるトノパ飛行場でコンスタント・ペッグ計画を実行する第4477試験評価飛行隊「レッド・イーグルス」が活動を開始しました。この飛行場には、ステルス攻撃機F-117ナイトホークも同じ理由で置かれていましたが、F-117部隊は機体の形状を隠すために夜間に飛行し、第4477飛行隊は昼間に飛行する運用が行われました。

「レッド・イーグルス」は1977年の発足当時、2機のミグ17と1機のミグ21で活動を開始しました。その後、機数は徐々に増やされていきましたが、ミグ17は老朽化により1982年を最後に退役し、代わってミグ23が導入されてゆきました。最盛期の1985年には17 機のミグ21(中国製F7を含む)と10機のミグ23を擁しました。

 さらに、極秘の部隊としてその存在を隠すためにあらゆる努力が払われたのです。
 

「極秘」を保持するための取り組みとは

 偵察衛星を避けるため、衛星が通過する時間に合わせて機体は格納庫に収容にされ、無線交信でも「ミグ」という機種名は使われませんでした。代わりに使用された機種名はミグ17がYF-114、ミグ21はYF-110、ミグ23はYF-113と呼ばれました。1990年になるとミグ29も導入され、こちらはYF-116と呼ばれました。

 また、隊員の多くは110キロほど離れたネリス空軍基地に所属していることになっていたため、ネリス空軍基地とトノパ飛行場の間はUC-12や三菱MU-2、セスナ404などの軽双発機が毎日運航されて隊員を輸送しました。また、集められた機体も古いものが多く部品の調達と整備には大変な労力が払われたそうです。

 ソ連機を操縦する教官は空軍もしくは海軍の戦闘機兵器学校もしくはテストパイロットスクール卒業生の中から選抜された精鋭たちでした。戦闘機パイロットは新しい機種を操縦する前にシミュレーター訓練の後、複座型を使用して教官同乗訓練を行いますが、秘密裏に入手したソ連機は複座型もシミュレーターもありませんでした。

 ソ連製戦闘機は、当然西側の機体とはコクピット内の配置が異なります。そのため、転換訓練は慎重に進められました。機体の保守や飛行手順が確立してからは毎日訓練が実施され、ソ連戦闘機との模擬空中戦は、空軍以外に海軍と海兵隊の戦闘機パイロットにも対象が広げられました。およそ10年間の活動期間中に、のべ1万5000回以上の飛行が行われています。

 そして同飛行隊は1988年に活動を終え1990年に解散しました。これはソ連崩壊に伴う冷戦終結とミグ戦闘機の維持コストが理由だったとのことです。その後、「コンスタント・ペッグ計画」と第4477試験評価飛行隊に関する情報は2006年に機密解除となりました。

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