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なんて神秘的なんだ… 手掘りトンネルを抜けた山中に忽然と現れる「廃駅」その正体とは 今や地域随一の人気「廃線」

乗りものニュース / 2024年5月11日 16時12分

三河大草駅跡(遠藤イヅル撮影)。

日本中に残る鉄道遺構の中でも、神秘的な雰囲気で人気の「三河大草駅」。この駅はどのようにして生まれ、どのように廃止されたのでしょうか。現地までのアクセス路も整備されつつ、往時を存分に感じることができます。

そこは「三河大草駅」の跡 奥三河の山中にあり

 日本には数え切れないほどの鉄道廃線跡や遺構があります。ただし廃止から時間が経過している場合は、雑草や木々の成長、道路整備、区画整理などによって往時の姿が失われるケースも。廃線跡を見つけるために、深い藪を分け入ったりする必要もあるほどです。
 
 一方で、自治体や地域・企業などにより、訪問しやすいよう整備されている場所もあります。今回はその中から、神秘的かつ比較的手軽に訪れることができる人気の廃駅、「三河大草(みかわおおくさ)駅」を紹介します。

 愛知県新城(しんしろ)市にある旧三河大草駅は、現在のJR飯田線 本長篠駅から北へ、三河田口までを13駅13.6kmで結んでいた「豊橋鉄道田口線」の駅です。田口線は、名刹・鳳来寺への参拝客輸送や、奥三河の木材を輸送する目的で、1927(昭和2)年に設立された田口鉄道を前身とします。

 田口鉄道は1929(昭和4)年、豊川鉄道鳳来寺口駅(現・JR飯田線 本長篠駅)から三河海老駅までが先行して開業し、1932(昭和7)年に三河田口駅まで全通しました。三河大草駅は開業翌年の1930(昭和5)年に開設されています。接続元の豊川鉄道など4社は戦時中に国有化され飯田線になりましたが、田口鉄道は国有化されず、1956(昭和31)年に豊橋鉄道と合併。豊橋鉄道の田口線となりました。

 しかしその後、モータリゼーションの発展、沿線人口減少による乗客減、木材をはじめとした貨物輸送量の減少・廃止、さらには数回に及ぶ自然災害による大きな被害が続き、1968(昭和43)に惜しまれながら廃線となりました。

あれかっ! 廃線跡のトンネルを抜けた先に…

 三河大草駅は一面一線の小さな駅。現在もなお、石造りのホームがひっそりと残っています。

 市街地にある鳳来寺口(現・本長篠)の隣駅でしたが、周辺に人家はなく、完全に山の中に所在していました。木造の待合室は撤去され、ホームは苔むし、雑草や枯れ草、枯れ枝に覆われ、階段の一部は割れていますが、それでも当時の面影を強く残しています。

 駅のまわりは鳥のさえずりと風の音以外は無音。静寂の中に佇むホームは遺跡にも見え、まるで異世界に迷い込んだような、不思議な雰囲気をたたえています。田口線が廃線になって周囲に家がなくなったわけではなく、電車が走っていた当時も集落から離れた駅だったため、利用者数は全駅中で最も少なかったそうです。

鉄道とバスで訪問が可能

 そんな山中にある三河大草駅ですが、公共交通を用いて手軽に見に行くことができます。本長篠駅前から豊鉄バス田口新城線「田口」行きに乗車して、4つ目のバス停「上大草」で下車します。

 バス停の名称から察せられるとおり、このバス路線は田口線を引き継いだものです。バスは日中におおむね1~2時間に1本程度運転されていますが、2~3時間ほどあく時間帯もあり、要注意です。

 駅跡には、上大草バス停から歩いて10~15分ほど。バスを降りたら県道32号を本長篠方面に戻り、数百m歩くと右側に脇道が現れるのでそちらを右折。続いて右カーブに沿って歩き、ひとつめの狭い路地を左折。登り坂をくねくね進むと、やがて草に覆われた田口線の築堤跡に出ますので、そこを左折。手掘りの「大草トンネル」を抜けた先に、三河大草駅が現れます。

 この駅跡までの道は整備が行われていますが、築堤や線路跡は未舗装で、トンネル内も路面がぬかるんでいる場合があるため、歩きやすいスニーカーを用意してください。懐中電灯を持っていくとなお良いでしょう。また、駅跡周辺にはいっさい照明がないため、暗い時間帯での訪問は控えたほうがよいと思います。

 なお、県道32号からのアクセス路や築堤上を含め、駐車スペースは少なく停めにくいため、トンネル付近へのクルマでの訪問はオススメしません。

当時の電車もいるぞ!

 田口線は他にも、本長篠から三河田口までのあいだに線路跡、トンネル跡が数多く残っており、充実した廃線散策を楽しむことができます。ただし、清崎~三河田口間の末端部にはダム工事による通行止め区間があり、一部のトンネルや、三河田口駅跡を見ることはできなくなっています。

 また、旧清崎駅(設楽町)の付近に2021年5月にオープンした「道の駅したら」には、田口線を走っていた電車、モハ10形14号車が美しい状態で展示されています。

 この保存車は、飯田線の前身である豊川鉄道と鳳来寺鉄道が1925(大正25)年に「モハ1形」として日本車両に発注した6両のうちの1両で、田口鉄道内でも使われていました。のちにモハ14と15が田口鉄道専用となり、豊橋鉄道に引き継がれたのち、廃線とともに廃車を迎えました。モハ14のみ奥三河郷土館で保存され、道の駅のオープンに合わせて引っ越してきた経緯を持ちます。

 車内では田口線の現役時代の資料などを保存しているほか、道の駅したらの建屋内でも田口線の写真を展示しており、廃線前のにぎわいや、往時を偲ぶことができます。郷土料理の五平餅を食べたり、お土産も買えたりしますので、奥三河観光の途中にぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

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