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「そんなに速さを求めなくても…」なんてあり得ない!! タイパ重視の源流「超スピード時代」の鉄道 歴史は繰り返す

乗りものニュース / 2024年5月23日 7時12分

1936年、京阪神に導入されたモハ52形電車(枝久保達也撮影)。

短時間でより高い効果や満足度を得る「タイムパフォーマンス(タイパ)」が注目を浴びていますが、乗りものの「タイパ重視」は100年近く前に始まり、現在まで連綿と続いています。その源流にあった当時の流行語「スピード時代」とは。

とにかく早く、パフォーマンス良くが求められた「90年前」

 最近「タイムパフォーマンス(タイパ)」という言葉が注目されています。「短い時間でどれだけ効果・満足度を得られるか」という意味で、要は同じことは早く済ませるほうが効果的、という価値観です。

 これは動画配信サービスや書籍の要約サービス、AIの活用などのデジタル技術の発達を背景としたものですが、物事のスピードを重視するのは現代の若者に始まった話ではありません。例えば科学技術が急速に発達した昭和初期にも「スピード時代」という流行語がありました。

 懐中時計や腕時計が広く普及したこの頃、人々の生活は時間に縛られるようになります。サービス業や近代的な工場が発達し、始業時間にあわせて従業員が一斉に出社する勤務形態が一般化。出社したらタイムカードを打刻し、基準作業量と労働時間で業務を管理する「科学的管理法」が広く取り入れられました。そんな時代になれば、「タイパ」が重要になるのは当然です。

 1930年代の雑誌・書籍を見ると、スピード時代のテンポにあわせるための漢字廃止論や、昔の悠長な健康法とは違う毎日短時間でどこでもできる健康法、また、和服のままではスピード時代の動きに対応できないとして洋装を勧める記事まで、なんでもかんでもスピード時代と結び付けた記事があふれています。

 また、伝統を重んじる東京・神楽坂の料亭向け指南書にも、下町から神楽坂まで以前は路面電車で30~40分だったのがタクシーで10~15分になったことで、今はお客が座ったそばからお茶が出て、酒が出て、芸者が来てと、息もつかせぬ早いサービスが満足を得られると説いています。

 そんなスピード時代を代表するものは交通と通信です。日本で1925(大正14)年にラジオ放送が始まり、1930年代に入るとラジオの低価格化や放送の充実で視聴者数が急増します。東京市では電話の加入件数が増加し、1926(大正15)年から自動交換機が導入されました。郵便も1929(昭和4)年に航空郵便(エアメール)の取り扱いが始まります。

 交通では1929年に日本初の本格的な民間航空会社「日本航空輸送」が東京~大阪~福岡間や福岡~大連(満洲)間の運航を開始。一般人が利用できるような運賃ではありませんでしたが、お金さえ払えば東京~大阪間を3時間で移動できる事実に驚いたでしょう。

 モータリゼーションが訪れるのは数十年後のことですが、バス、トラック、タクシーなどの商用車は大正末から昭和初期にかけて広く普及し、東京市内を1円均一で利用できる「円タク」が流行。ドアツードアで速達する交通機関は人々の移動を大きく変えましたが、一方で乗客を奪い合う無謀なスピード競争が問題化しました。

スピード時代「鉄道の象徴」だったのは

 鉄道もこの頃、大きな発達を遂げます。それまで路面電車が主役だった都市に、次世代の交通機関として都市高速鉄道「地下鉄」が登場します。大隈重信は1917(大正6)年に「将来の文明は、平面式の文明から、立体式の文明にならねばならない」と説き、「飛行機とか地下鉄道とか云ふものが、地上に地下に縦横無尽に走るやうになった時にこそ、初めて真の文明は形造られるのだ」と予測しましたが、彼が描いた未来は早くも現実のものとなりつつありました。

 もうひとつ、スピード時代を象徴する存在が1930(昭和5)年に運行開始した超特急「燕」です。それまでの特急「富士」の所要時間は東京~神戸間約11時間でしたが、「燕」は8時間20分。東京駅を9時に出発して大阪駅に17時20分到着、上りは大阪駅を13時に出発して東京駅に21時20分に到着しました。

 下り「富士」は夜遅く大阪に到着。上りは7時台に大阪駅を出発し、夕方に東京駅に着きます。この他に寝台付き夜行急行もありましたが、いずれにせよ大阪出張には最低2泊が必要でした。それが1泊でも可能になったのは、さすがスピード時代です。

 スピード時代の精神を体現するのが「流線形」です。それまでの蒸気機関車や電車はいかにも武骨な形状でしたが、スピードアップを意識した滑らかなデザインが世界的に流行します。日本でも特急用のC53形蒸気機関車を試験的に改造し、1934(昭和9)年登場の南満州鉄道の蒸気機関車パシナ型や、1936(昭和11)年に登場したEF55形電気機関車は流線形デザインを取り入れました。

 電車でも、京阪神の急行電車(現在でいう新快速)向けに1936(昭和11)年に導入された「モハ52形」が流線形を採用。私鉄も時代を反映したデザインをこぞって取り入れました。

 流行語としての「スピード時代」は昭和戦前期に終息しますが、スピードを重視する価値観は高度成長期にますます広がります。1964(昭和39)年開業の東海道新幹線は、その到達点のひとつだったと言えるかもしれません。

 スピード時代への反省が見られるようになるのは、オイルショックが起こり、高度成長が終焉を迎える1970年代以降の話ですが、「タイパ」に注目が集まるということは、今もまだスピード時代が続いていると言えるのでしょう。

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