沖縄の「ポツンとSL」のナゾ “友達にも見せたい” 国鉄職員らが一肌脱いだ「記録」だった!
乗りものニュース / 2024年6月16日 9時42分
沖縄・那覇の中心にある公園の一角に木々に隠れるようにして1両の蒸気機関車が展示されています。戦後、鉄道が走ることのなかった沖縄になぜ大きなSLが残っているのでしょうか。
台湾や朝鮮半島、サハリンも走ったのに沖縄はゼロ
沖縄県の県庁所在地である那覇市の与儀公園に1両の蒸気機関車(SL)がひっそりと置かれています。ただ、沖縄県の鉄軌道は1945年以降については、21世紀になって開業した「ゆいレール」こと沖縄都市モノレールしかないはず。公園の一角にたたずむ、この蒸気機関車は何なのでしょうか。
与儀公園の蒸気機関車をよく見てみると、車体の前後左右に「D51 222」と記されたナンバープレートを付けています。ゆえに、この車両はD51形蒸気機関車222号機であることがわかります。
そもそも、D51形といえば国鉄向けに1115両が製造された日本最大の両数を誇る国産の蒸気機関車で、「デゴイチ」の愛称でいまだに親しまれている日本SL界の「巨人」です。
北は北海道から南は鹿児島まで日本全国で活躍したほか、台湾や朝鮮半島、旧ソ連(現・ロシア)のサハリン(樺太)でも使われました。しかし、沖縄にはD51の重さに耐えられる鉄路がなかったため、走ったことはありません。
では、そのような地になぜD51がポツンと置かれているのか、それには沖縄の本土復帰と、日本の鉄道開業100周年が大きく関係しています。
門司でSL見せたことが契機に
沖縄本島には戦前、軽便鉄道(沖縄県営鉄道)や馬車鉄道、路面電車などがありました。しかし利用者減や戦災により廃止または破壊され、1945年以降は長らく鉄道のない状況が続きます。
戦後しばらくの間、沖縄はアメリカ軍の占領下に置かれていましたが、終戦から四半世紀が過ぎようとする頃、日米両政府のあいだで沖縄の返還協定が締結されたことで、1972(昭和47)年5月15日に沖縄県が発足、日本の一部へと戻りました。
一方、1972年は日本における鉄道開業100周年の節目の年でもありました。1872(明治5)年9月12日、東京・新橋~横浜間の鉄道が開通しており、各地で様々なイベントが開かれるとともに記念メダルや記念切符が発売されるなどしていたのです。
そのようななか、北九州市の国鉄職員が「沖縄の本土復帰・鉄道開通100周年」に合わせて沖縄の子どもを同地へ招く運動を展開します。結果、那覇市内の小学生72人が北九州市へ招待され、国鉄職員が里親になる形で、遊園地やサーカスに行ったり、プロ野球を観戦したり、はたまた門司機関庫で鉄道を見学したりと充実した数日間を過ごしました。
いくつもの貴重な体験を行った児童たちですが、なかでも最も印象に残ったのが、蒸気機関車の巨大さ、たくましさだったとか。子どもたちから「沖縄の友達にも見せたい」「SLが欲しい」などの声が上がったそうで、それを聞いた北九州の国鉄職員らは、なんとかして鉄道のない沖縄に実物の蒸気機関車を送ろうということになったそうです。
募金活動したら全国から集まった
ところが、鹿児島から海路600km隔てた那覇市へ重さ90tのD51を運ぶためには莫大な費用がかかります。そこで、北九州の国鉄職員らが行ったのが募金活動でした。門司鉄道管理局を中心に「沖縄にSLを送る運動」が展開された結果、全国から1400万円を超える募金が集まりました。
この活動によって、費用面での心配がなくなったことで、1両のD51が1973(昭和48)年初頭に鹿児島港から貨物船で那覇市へと送られ、与儀公園に設置されます。そして同年3月8日、関係者や市内小学生約500人が出席して「D51蒸気機関車譲渡式」が公園で開催されました。
那覇市によると、D51形蒸気機関車(デゴイチ)が選ばれたのは、沖縄県の県花デイゴに因んだからで、222号機になったのは、覚えやすい番号だからだとか。なお、与儀公園への設置当初は、汽笛を鳴らしたり煙突から黒い煙を吐いたりといったことができたといいます。
また、当初は「無償貸与」という形でしたが、1992(平成4)年8月5日に那覇市へ正式に無償譲渡されたため、現在は那覇市の所有物になっているそうです
すでに、公園へ設置されてから50年以上が経過しているため、ところどころ錆び、ヘッドライトも自動車用ホイールで代用するなど経年劣化が進んでいます。しかし、沖縄県で唯一のSLであることは変わりません。これからも末永く大切に保存されることを望みます。
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