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この電車「寝台特急」だったんだぜ…? 凄まじい魔改造の痕跡 ローカル電車への“無理やり転用”なぜ行われたのか

乗りものニュース / 2024年6月29日 7時12分

クモハ419形を先頭にした419系。登場時は赤2号+クリーム10号の塗色だったが、1988年から順次この「新北陸色」に変更(ジョリートロリー氏提供)。

花形の「寝台特急」が、地方都市のローカル輸送用に相次ぎ改造されたことがありました。車内には、ローカル電車にはあまりに不釣り合いな設備を、無理やりどうにかした跡が多数。今も語り草の「近郊型改造」はなぜ行われたのでしょうか。

「特急形」から「近郊形」へ 魔改造じゃないワケがない

 かつての花形だった寝台特急形電車が、地方都市の近郊輸送用に「魔改造」された車両がありました。その車両とは、近郊型電車の419系と715系。なぜ寝台特急形電車が改造のベースに選ばれたのでしょうか。その歴史的背景も紐解きます。

 鉄道の世界では、違う用途に車両を転用することが稀に行われており、「特急形」や「急行形」の電車を都市部近郊のローカル輸送用電車に改造した例もあります。その中でも「魔改造」を受けて誕生した419系・715系近郊形電車は、飛び抜けて変わった車両として現在でも語り草になっています。

 通常、特急形はドアが両端に1もしくは2か所、座席は前後の向きを変えられるクロスシート(横座席)が並ぶことが基本です。急行形もドア配置などは同様ですが、座席はおおむね固定式のボックスシートでした。

 近郊形は、都市近郊や地域輸送用に設計された車両です。ドアは片側に3か所、車内にはクロスシートとロングシート(縦座席)を組み合わせた「セミクロスシート」を配しています。これに対し山手線に代表される通勤形は、ドアは片側4か所、シートはロングシート(縦座席)です。近年はJR東日本のE231系やE233系、E235系電車のように、同じ形式で近郊形と通勤形を作り分けるような車両も登場しており、新たに「一般形」と称する区分も生まれています。

 419系・715系は特急形電車から近郊形電車に改造されて誕生した車両ですが、これらの車両が登場したのは、国鉄時代でした。

 国鉄末期における地方都市部の近郊輸送は「長編成・少ない運転本数」という運転形態でした。しかしこの形態は、利用客が多めな都市近郊の輸送として最適ではありませんでした。また、エリアによっては機関車が牽引する客車による普通列車が残っており、ドアを手で開閉するような古い客車も使用されていました。

 そこで国鉄は、1984(昭和59)年から翌年にかけ、残っていた客車列車の電車・ディーゼルカー化を推進。すでに普通列車として電車を走らせていた地域も含め、列車の短編成化・運転本数増加によるフリークエンシー化を実施して、サービスの大幅な向上を行いました。

だって車両高いんだもん「交流」だから

 列車本数の増加による車両の確保は、使用していた電車の短編成化でまかなっていましたが、先頭車両はどうしても不足してしまうため、中間車を先頭車に改造する「先頭車改造」を行って充足していました。

 しかし、それは元々使っていた電車の数が多かったエリアだからできたこと。九州(長崎・佐世保エリア)や北陸(金沢・富山エリア)、東北地方(仙台エリア)の交流電化区間では、急行列車の廃止で余っていた急行型電車を近郊輸送に転用しても、絶対的な電車の両数が少なかったのです。しかし困窮していた国鉄に、交流区間を走れる高価な車両を新製することは困難でした。

 そこで国鉄は妙案を考えだします。それは特急形電車を近郊形電車に改造して充てることでした。その「種車」は、寝台特急列車用の特急形電車で、「月光形」として親しまれていた581系/583系でした。これらは、新幹線網の発展で夜行列車の廃止が進み、大量に余っていたのです。

 もともとが特急用電車のため、乗り心地のよいDT32系空気バネ台車や冷房を備えており、当時の近郊形電車としては十分なサービスを提供することも期待されました。

車内は凄まじい魔改造の痕跡

 しかし財政難で改造費はかけられません。ドアは特急形電車時代の幅700mmの折戸をそのまま使用。片側1か所のみでは朝晩に混み合う近郊輸送に不適なことから、同じ折戸をもう1か所増設しました。こうして誕生した419系・715系のドア幅は、近郊輸送用電車のドアは1m幅もしくは1.3m幅というなかで、近郊型電車としては異例の狭さでした。

 車内は、特急形時代の座席・寝台兼用ボックスシートを残しつつ、寝台への転換機能を固定。ドア付近は立ち席を増やすためにロングシート化しました。寝台列車用のため1車両ごとに2か所設けていたトイレも、1編成1か所のみにして残りを撤去。トイレ向かいの洗面台跡については、座席を設けず「フタ」をするのみという大胆な改造を施しました。

 特急形時代は開かなかった窓は、一部を開閉可能に改造するも、種車のままの窓については、二重窓の中をブラインドが上下する「ベネシャンブラインド」が存置されていました。筆者の記憶では、二重窓の中に人工芝が敷かれ、飾りが置いてあった車両もいたように思います。なおベネシャンブラインドはのちに撤去され、横引きカーテンに置き換えられました。

そりゃ露呈するわ 「魔改造」の限界

 加速や走行性能を決めるモーターの歯車比も近郊輸送に使用するために変更していましたが、歯車に101系通勤形電車の廃車発生品を流用したために、加速は良いが高速性能がイマイチ、という車両になってしまいました。

 また短編成化で先頭車が必要になったため、中間車の「先頭車改造」も数多く施工されました。その際につけられた前面が、のっぺりとしたいわゆる「食パン顔」で、流麗かつ重厚な「月光形」先頭車とのギャップも注目されました。

 こうして419系/715系は、3両編成で交流・直流電化区間の双方を走れた419系が北陸エリア、4両編成で交流専用だった715系が九州エリア、そして寒冷地向けの715系1000番台が東北エリアに投入されて活躍しました。

 しかし、徹底して改造コストをかけず行った「魔改造」には、さすがに無理がありました。

 そもそも581系/583系は昼行・夜行兼用の特急車両として酷使され、種車時代から老朽化が進んでいたほか、改造後はドア幅が狭く乗客流動が悪い、窓が小さく車内が暗い、デッドスペースが多い、高速性能が不足、といった様々な問題も露呈していました。

 そのため九州・東北エリアでは1998(平成10)年に全車引退。残った北陸エリアの419系も、2011(平成23)年に運用を終了しました。

 2024年現在、715系のクハ715-1(元クハネ581-8)が、北九州市の九州鉄道記念館で581系/583系時代の塗装をまとって保存されています。車内は715系のままなので、「魔改造」の様子を今でも知ることができます。

 このほか「近郊形」への改造には、急行列車を特急列車に格上げしたことで余剰が発生した「急行形」の床下機器を「近郊形」に載せ替える、特急列車の短編成化で発生した「特急形」のグリーン車を「近郊形」のグリーン車に転用するといったケースなどもありました。

 現在では、このようなその場しのぎの「百鬼夜行」的な変わった車両はあまり見ることができなくなりました。時代の要請で生まれた近郊形電車419系・715系は、これからも伝説の存在であり続けるに違いありません。

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