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「基地内は米国です」なのになぜ「左側通行」? 交通ルールは日本流の嘉手納基地 「そこだけは米国流か!」ルールも

乗りものニュース / 2024年7月1日 9時42分

嘉手納基地(画像:アメリカ空軍)。

「敷地内はアメリカ」とされる米軍嘉手納基地ですが、日本と同じルールが採用されているものがひとつあります。それが車両の「左側通行」です。なぜこのようになったのでしょうか。

沖縄は1978年に「左側」に

 沖縄県の米空軍嘉手納基地は、分類的には「アメリカ国内」とされています。しかしその敷地内を走る自動車やオートバイを見ると、日本と同じように左側を走っているのです。なぜ「左側通行」となっているのでしょうか。

 1973年5月まで米国統治下だった沖縄県で、自動車が右側通行から左側通行へ一斉に変わったのは、1978年7月30日の午前6時でした。この日を目指して沖縄県下では、「ナナ・サン・マル」運動または大作戦と呼ばれた、ルール変更の周知徹底が行われ、県民の大きな関心事でした。

 というのも、路線バスやタクシーは乗降ドアが左右入れ替わるため、新しい車両を購入しなければならず、約350基の信号機や3万6000基以上の道路標識も軒並み付け替えなければならないなど、交通ルールが生活に密着していたからです。

 それゆえに、この一大プロジェクトにまつわる数々の記録や思い出が出話は多く残されていますが、極東最大と呼ばれる米軍嘉手納基地内の事情についてはさほど出てきません。

 そこで、嘉手納基地がいつ左側通行に変更されたかも合わせて基地報道部へ問い合わせました。すると、「変更は1978年7月29日午後10時に通常の交通が停止し、翌日午前6時に再開された」といいます。つまり、沖縄県と歩みを同じにして「左側通行」への移行が実施されたということです。

「左側への切り替え当日」嘉手納基地の様子

 回答では合わせて、基地の外の行政機関と同じように、7月30日は午前6時に交通が再開された後も基地関係者に自宅待機を促した。ドライバーが新しい運転パターンに慣れるまでの間、交通量をできるだけ少なくするようにし、31日の月曜日は、出勤に余裕を持ち少し早めに家を出るようにドライバーへ促し、軍関係者に交通状況の最新情報を知らせるよう徹底した――ということも記されていました。

 いわば、日本本土返還後も基地内は米国なものの、仮に左側通行のままであれば、基地の出入り口で走行レーンを左右入れ替えるのは多額の費用が掛かるうえ、交通事故の危険性も増します。このため、日本の「ナナ・サン・マル運動」に合わせたといえるのでしょう。

 自動車自体の運転については、今も交通事故防止へ「地域社会の一員として責任ある隣人」(嘉手納基地報道部)として、基地では運転者講習や筆記試験を経て、自動車が運転できるということです。

 その中で、日本の交通ルールと異なる例外は、米国内の右折と同じように交通の流れが許せば赤信号でも左折できること。それと、毎日17時に基地内で日本と米国の国歌が拡声器から流れる際は、交通が止まるということです。

 これらを除けば、日本国内の道路事情と変わらない嘉手納基地ですが、「あるある」ネタとして知られるのは、たまに交差点を曲がる際にワイパーの動く右ハンドル車を見かけること。ウインカーを出す際に誤ってハンドルの左にあるワイパーのレバーを操作してしまうためですが、それで「米本土からの転勤者が運転しているな」と一目で分かるそうです。

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