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「エンジン多けりゃ速いんじゃない?」実は双発にしたけど無理だった! それでも“使えた機体”とは?

乗りものニュース / 2024年7月5日 16時12分

双発戦闘機であるP-38「ライトニング」(画像:アメリカ空軍)。

なぜ第二次大戦中の代表的なレシプロ戦闘機のエンジンは1基ばかりなのでしょうか。エンジン増やせば速度上げられるし、武装も大量に積めそうです。実は各国で行われたものの、実戦ではそうではありませんでした。

エンジン2つ積んでも「超強い!」とはならない…

 第二次世界大戦で運用された戦闘機を確認すると、なぜかプロペラが機体中央に配置された、エンジンが1基のいわゆる単発機が圧倒的に多いです。ジェット戦闘機が圧倒的に多い現代では、エンジンを2基搭載する機体も珍しくありませんが、プロペラ推進が主流だった80年前のレシプロ戦闘機はなぜ、エンジン1基のものばかりなのでしょうか。

 実は第二次世界大戦中もエンジン2基の戦闘機は存在しました。しかし、そのほとんどは成功しなかったのです。

 世界の主要な航空機生産国では、第二次大戦の以前から爆撃機の航続距離が伸びるにつれ、1人乗りの単発戦闘機よりも燃料や武装を多く積める双発戦闘機に大きな期待が寄せられるようになっていました。

 長距離を飛ぶ爆撃機を護衛でき、2基のエンジンによる大出力で単発機を上回る高速を発揮、加えて機体を大型化することで機内容積にも余裕がでるため、20mmや30mmなどより大口径・大威力な機関砲を搭載できるからです。

 大戦直前にはこうした双発機に、爆撃機の護衛だけではなく通常の空戦や基地防衛、偵察などまで担わせようという、万能戦闘機ともいえるモデルが各国で構想されました。

 しかし、できあがったものの多くは、エンジンのパワー不足で旋回性能や高速性が単発機よりも劣っており、通常の空戦には対応できない低性能なものばかりでした。逆に、エンジン単発で軽量な戦闘機を飛ばした方が、機動力に富み空戦向きだったのです。ただ、それでも開戦初期は長い航続距離などが買われて実戦投入されています。その代表例といえるのが、ドイツのBf110でした。

単発機に比べ鈍重で格好の的に

 1930年代半ばにドイツ空軍に採用されたBf110は、「駆逐機」と称されていました。前方火力として20mm機関砲2門、7.92mm機関銃4丁を装備、さらに7.92mmの旋回機銃を持つなど、武装だけならば当時の単発単座戦闘機を大きく凌駕していたことから、爆撃機の護衛用として活躍を期待されていました。

 大戦初頭のポーランド侵攻やノルウェー侵攻などでは、爆撃機の護衛やイギリス空軍の爆撃機相手に戦果を挙げたものの、フランス侵攻、いわゆる西方電撃戦が始まると英仏の戦闘機相手に早くも損害が目立つようになります。

 このころには、すでに機動性と加速に欠ける評価が出ていましたが、その後に続くバトル・オブ・ブリテンでは、ほかのドイツ戦闘機が軒並み航続距離が短いなか、英仏海峡を渡ってイギリス本土上空に一定時間滞在できる機体は同機しかなかったことから、多数が駆り出されます。

 しかし、そこで機動性に優れたイギリス戦闘機の格好の餌食となってしまい、多大な損害を出す一方ほとんど活躍できないまま終わったとか。一説によると、作戦に投入した237機中223機を失ったといわれています。

 旧日本陸軍の二式複座戦闘機「屠龍」なども、実戦投入した当初は双発の戦闘機として期待されましたが、中国大陸や東南アジアなどで米英の単発単座戦闘機と戦った結果、早々に正面切っての戦いでは太刀打ちできないと判断されました。

 ただ、この2機はその後本土防空で夜間の大型爆撃機を目標とした「夜間戦闘機」としてはその性能を発揮することになります。

P-38「ライトニング」が成功したワケ

 この分野で純粋に戦闘機として大戦中にほぼ唯一成功したといっていいのが、アメリカ軍のP-38「ライトニング」です。

 同機は、世界初の戦略爆撃機ともいわれるB-17を実用化したアメリカ陸軍が、敵も同じく排気タービンを持ち高高度性能の高い大型爆撃機を用いてきた際に、それを迎撃しようと想定して開発された戦闘機になります。

 高高度への上昇性能が単発戦闘機よりも優秀だったことから、はるか上空に待機しての急降下による一撃離脱戦法をとれば敵戦闘機にも対抗できました。加えて、機首に集中配置されている12.7mm機関銃4丁と20mm機関砲1門の破壊力は絶大で、太平洋戦線に現れた当初は、優勢であった日本軍機も苦戦を強いられています。

 日本では、前線を視察中の山本五十六海軍大将(当時)搭乗機が、南太平洋のブーゲンビル島上空で撃墜された「海軍甲事件」における、アメリカ側の襲撃機としても知られます。ただ、実はアメリカ軍史上、撃墜数で1位と2位を誇るエースパイロットらが愛機として乗り回していたのも同機でした。

 また、P-38ほどではありませんが、イギリスのデ・ハビランド「モスキート」も双発戦闘機としては比較的活躍した機体だといえるでしょう。軽量な機体に、出力1710馬力の「マーリン」エンジン2基を備えたことで、当時としては俊足の667.9km/hという高速性を誇りました。これにより、イギリス本土の防空に就いた際には、襲来する多数のドイツ軍爆撃機やV1ミサイルを撃墜しています。

 第二次大戦の開戦直前に考えられた双発エンジン機の「万能戦闘機」構想は、それから40年以上経過し、ジェット機時代になった後にようやく成就しています。ミサイルの登場によって、戦闘機自体にそこまで高速性や機動性が求められなくなったのも大きいのかもしれません。

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