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歴史を変える大発明だった!?「ヘリコプターの元祖」だったかもな変態機 まさかの後世に大きな影響も

乗りものニュース / 2024年7月21日 18時12分

実験中のPKZ-2。中央のドラム缶のようなものは人間が乗るためのカゴ(画像:パブリックドメイン)。

第一世界次大戦中、参戦各国は砲撃での着弾点観測に困っていました。そこで現在のヘリに通ずるプロペラ推進でホバリングができる機体が考えられることになります。

とにかく高い位置から着弾点を観測したい!

 世界で初めて実用に耐えうる形で飛行した回転翼機(ヘリコプター)とされているのは、第二次世界大戦の開戦直前、1936年6月26日にドイツで初飛行したフォッケウルフ Fw 61です。

 しかし、実はそれよりも20年ほど前、第一次世界大戦の終了直前に空を飛んだ回転翼機がありました。ただ、その見た目や構造は現代のヘリコプターとはかけ離れたもの。いったいどんな機体だったのでしょうか。

 そもそも、20世紀初頭の1914年に勃発した第一次世界大戦は、1918年の休戦までに戦争の形を大きく変えた、とよく言われます。潜水艦や飛行機の大量使用、戦車の発明、毒ガスの実戦投入などさまざまな理由が挙げられますが、大砲の威力向上もそのひとつと言われています。

 それまでの戦争といえば、両陣営がだだっ広い場所に陣を敷き、お互い見える範囲で兵力をぶつけ合う、というのが定石でした。しかし、この時代、砲の射程は驚くほど延伸しており、敵陣営が見えない場所に大砲を設置し、そこから射撃して、遠く離れた目標を攻撃することが可能になっていたのです。

 加えて、従来の砲は、架台に砲身や薬室がじかに設置されていたため、発射すると反動で大砲全体が動いていました。これだと、1発撃つごとに大砲を元の場所に戻し、目標への指向をイチからやり直す必要がありました。

 ゆえに命中精度は低く、射撃速度も遅かったのですが、1900年頃になると各国で「駐退機」と呼ばれる装置を搭載した新型砲が登場するようになります。これは、発射時の反動を軽減する装置で、砲架(架台)と砲身のあいだに組み込むことで、この部分が発射時の反動をある程度吸収するため、砲架は動くことがなくなりました。その結果、大砲の命中精度と発射速度は大幅に向上することになったのです。

 こうして、第一次世界大戦では、遠く離れた場所から大量の砲弾が高い命中精度で飛んでくるようになったといえるでしょう。

ハンガリーの飛行家がヘリの原案を考える

 しかし、残念ながら大砲を射撃する方も、着弾地点が見えないという問題がありました。最初は推測で撃っていたようですが、それでは非常に効率が悪い。そこで敵を発見して狙いを定めるという作業が必要になってきました。

 砲を持たない陣営は「敵陣に射程の長い砲があるかどうか」、砲を持った陣営は「敵陣のどこを狙えば効果的か」を探らなくてはなりません。これが最も簡単なのは、「高いところから観測すること」です。第一次大戦以前にも戦争というのは、丘や山など基本的に高い場所に陣取った方が有利と言われていましたが、この長射程な大砲の出現により、それがさらに高い場所から観測する必要性が出てきたのです。

 英仏を始めとした連合軍側とドイツを中心とする同盟国側、両陣営ともに大戦序盤は木に登ったり丘の上に陣取ったりと、さまざまな工夫を凝らしましたが、それでもなかなか思うように敵陣を観測できません。そこでまず使われるようになったのが熱気球や、開発されたばかりの飛行機でした。

 しかし、熱気球は観測員を乗せて一回上空にあげるのに、200人ほどの要員が必要となる大作業ということであまり使われなくなりました。飛行機は上空からの偵察能力こそ申し分なかったものの、無線機など、遠隔地への通信手段が未発達のため戦線後方の飛行場から飛び立って、観測した内容を部隊に伝えるのに極めて時間がかかってしまいました。

 そこで考え出されたのが、ヘリコプターの原形ともいえる乗りものでした。熱気球よりも、少ない人数で安全に運用でき、飛行機よりも情報を素早く入手できるということで、大きな期待がかけられます。

 提案したのはオーストリア=ハンガリー陸軍の飛行家であるイシュトヴァーン・ペトロツィ少佐だと言われています。彼はイメージを具現化するために、テオドール・フォン・カルマン中尉およびヴィルヘルム・ジュロヴェツ技術中尉とともに設計に乗りだします。

 PKZ-1と名付けられた、ペトロツィ少佐とカルマン中尉が作った飛行機械は、機体上部に4本のプロペラを有し、各ペアが反対方向に回転するトルクを打ち消し飛行する、今のドローンに代表されるマルチコプターに近いものでした。完成した機体は1917年8月から本格的なテストを開始し、1918年3月には行われたテストでは人を3人乗せた状態で最大50cmの高さまで浮くことができたようですが、モーターに負荷がかかりすぎ、テストは中止となりました。

トルクを打ち消す答えを出した機体

 一方、ジュロヴェツ技術中尉が開発を担当したPKZ-2と呼称される乗りものは、PKZ-1よりは先進的で、3本の放射アームそれぞれに120馬力のエンジンを取り付け、中央にトルクを打ち消すための二重反転ローターを設置。その上に観測員を乗せるためのゴンドラを配置するという極めて合理的な飛行機械でした。

 PKZ-2は現代のヘリコプターのように自由に空を飛び回るというわけではなく、フワリと浮かんで上空まで飛びあがり、そこでホバリングして目視で敵情など必要な情報を収集し終わると、地上の作業員が空から垂れ下がった紐を引っ張って機体を降ろすという構造で観測気球などに近い運用法になっています。3本の脚と機体中央部には、着地時の衝撃を和らげるゴムのボールが取り付けられており、安全性も考慮されていました。

 同機は1918年4月に試験飛行を開始。5月からは無人での運用テストも行われました。6月には、空軍関係者に向けてデモンストレーションが行われましたが、ここでエンジントラブルにより不時着。機体が損傷してしまいます。

 その後1918年11月に試験を再開する予定となっていましたが、時すでに遅し、同月中に第一次世界大戦は終結。オーストリア=ハンガリー帝国は敗戦国になったため、機体はイタリア軍が接収してしまったと言われています。

 PKZ-2は人を乗せて飛行した記録が確認できず、恐らく有人飛行はしていない模様です。しかし、この機体に採用された回転トルクを打ち消す技術や、ホバリングという技術が、後にヘリコプターの誕生へとつながっていくことになっていきます。

 もし、オーストリア=ハンガリーで誕生したPKZ-1やPKZ-2が実戦に投入されていたら、現代のヘリコプターの形状は変わっていたかもしれません。

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