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「船と戦車、合体させよう」日本海軍が戦車を作ったらこうなった!? 実際どう使われたのか

乗りものニュース / 2024年7月26日 16時12分

終戦後、アメリカ軍によって航走試験を受ける特二式内火艇。砲塔後部に見えるのはエンジンの換気筒(パブリックドメイン)。

海軍陸戦隊の上陸作戦のために開発された水陸両用戦車「特二式内火艇」。海軍が運用する、戦車とも船ともつかないこの車両の開発と実戦をひもときます。

日本海軍の上陸作戦部隊に必要だった「戦車」

 旧日本海軍には「陸戦隊」という部隊がありました。その名の通り、海軍でありながら陸上で戦闘を行う海軍陸戦隊には、その任務を遂行するために、海軍ならではの装備、すなわち海を航走する“戦車”がありました。ここでは、「特二式内火艇」と呼ばれる、その特異な車両について解説していきます。

 さて、海軍陸戦隊は当初、作戦ごとに横須賀や呉など海軍鎮守府の海兵団で編成され「特別陸戦隊」と称していました。アメリカ軍の海兵隊が陸軍や海軍と並ぶ独立した軍なのに対して、陸戦隊は海軍が運用する陸上戦闘部隊という位置づけでした。

 1937(昭和12)年に始まった日中戦争では、第二次上海事変や海南島占領などで上陸作戦や占領地域の防衛に陸戦隊が投入されています。日中戦争が長期化するにつれて陸戦隊は常設化されるようになりました。
太平洋戦争初期には東南アジアからソロモン諸島にかけて海軍が上陸作戦を行い、アメリカ軍が反撃を開始してからは、陸軍と共に島嶼部の守備隊として戦っています。

 これらの戦闘において、陸戦隊は陸軍の小銃や機関銃、装甲車を流用し、戦車は九五式軽戦車などを使用していましたが、やがて守備隊の任務に特化した装備の導入が行われることとなります。ここで、海軍独自の“水陸両用戦車”が登場するのです。

文字通り「海では船、陸では戦車」

 第1次世界大戦で初めて登場した戦車は、戦後になって様々に進化しています。その流れにともなって水陸両用戦車の研究も始まりました。先行したのはイギリスで、1930年代に入るとヴィッカース社が試作車を完成させています。

 その影響を受けて、日本でも陸海軍が水陸両用戦車の研究を進めました。陸戦隊をもつ海軍は、素早い揚陸が可能な水陸両用戦車が有用だと考えました。海軍は実用化を急ぐため戦車開発に技術的な蓄積のある陸軍技術本部に水陸両用戦車の開発を依頼します。

 陸軍技術本部では上西甚蔵技師が中心となり、九五式軽戦車のエンジンと車体をベースに二式軽戦車の砲塔を組み合わせた試作車を1941(昭和16)年に完成させました。

フネか戦車か、場所によって数え方まで違う!?

 その車両は、海上では着脱式のスクリューと前後に取り付けられたフロートで航走する船として、陸上では戦車として機能するものでした。水密性を保つためリベットの代わりに溶接を採用し、ハッチにはゴムのパッキンが使われていました。フロートを取り外せば車体が軽くなり機動性が増します。ただし、素早い逆上陸を目的としていため、手間のかかるフロートの再装着は考慮されませんでした。

 こうして開発された車両は、日米開戦後の1942(昭和17)年に「特二式内火艇カミ車」として採用されました。「二式」は皇記2602年(昭和17年)から、秘匿名称の「カミ車」は上西技師の名前から取られています。

「内火艇」とは、海軍が軍港などで人員が移動するのに使用するモーターボートのことです。名称からすると「フネ」である特二式内火艇は、海上では艦艇として「1隻、2隻」、フロートを外して上陸後は戦車となり「1両、2両」と数えられます。

 特二式内火艇の初陣は1944(昭和19)年1月のマーシャル諸島クウェゼリン環礁の戦いで、続く6月から7月にかけてのサイパンでも戦っています。いずれも本来の目的である上陸作戦ではなく防衛戦だったために、フロートを外した状態の“戦車”として使用されました。

 さらに、10月から始まったフィリピンの戦いでも断片的に投入され、12月にアメリカ軍がレイテ島のオルモック湾に上陸した際には、陸戦隊が11両の特二式内火艇や火砲、物資と共に逆上陸に成功しました。この時、特二式内火艇とアメリカ軍のLVT-1が、水陸両用戦闘車両同士の戦いを演じています。

 しかし、特二式内火艇の大半は、その後の戦闘で壊滅してしまいました。

 当時の日本の戦車は装甲が薄く脆弱でした。特二式内火艇も同様で、車体前面と砲塔の全周が最大で12mm、車体の上下面は6mmしかありません。また、備砲の一式37mm戦車砲は、75mmや76.2mm戦車砲を搭載するアメリカ軍のM4中戦車シャーマンにかなう代物ではありませんでした。

後継車両も開発されたが…

 当時、海軍は特二式内火艇の後継車両の開発も進めています。陸軍の一式中戦車を元に一式47mm戦車砲を搭載し、最大装甲厚50mm(前面)を確保した「特三式内火艇」と、物資輸送用の「特四式内火艇」です。しかしこれらはごく少数しか生産されず、実戦投入に至らないまま終戦を迎えました。

 さらに、特三式を改良した「特五式内火艇」も開発が進められていましたが、これは未完成に終わっています。

 実戦投入された特二式内火艇の生産数は184両と少ないものの、パラオなど南西太平洋の島々に遺棄された車両が現在も残っており、北千島に配備され旧ソ連軍に鹵獲(ろかく)された車両はロシアのクビンカ戦車博物館に展示されています。

 日本に限らず、第2次世界大戦では各国で数々の特異な戦闘車両が開発されました。連合軍もノルマンディー上陸作戦で水陸両用戦車シャーマンDDや各種の地雷除去戦闘車両など変わりダネを使用しています。

 それらと同様に特二式内火艇は海軍が実戦配備し、かろうじてその本来の目的をまっとうした“戦車”として、戦史に名を刻んでいます。

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