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「これが、同じ街なのか…?」ついに渋谷駅直結を果たした“国道の向こう側” 地形すら変えた大開発4年間を定点比較

乗りものニュース / 2024年8月1日 7時12分

「渋谷サクラステージ」内となった再開発街区。更地になってしばらくは空が広く、JR山手線がよく見えた。この位置は「SHIBUYAタワー」となっている(2019年6月、吉永陽一撮影)。

大規模再開発中の渋谷駅では、JR新南口改札が移転開業しました。街ごと再開発された南西の桜丘地区に大型複合ビル「渋谷サクラステージ」もオープンし、後発だったこの地域へも人々が流入し始めています。

後発だった桜丘地区の再開発

 駅の再開発は全国でも見られますが、渋谷駅の場合は駅を中心にして四方の街と一体となった大規模再開発となっており、世界中のターミナル駅を見ても、ここまでの再開発は類を見ないのではと思えるほどです。
 
 渋谷駅周辺は2005(平成17)年に「都市再生緊急整備地域」に指定され、駅だけでなく周辺の区画整理事業も含み、100年に一度とも呼ばれるほどの大規模再開発事業が進行中です。

 今までの再開発事業を振り返ってみると、東急文化会館と周辺は2012(平成24)年に「渋谷ヒカリエ」、東急東横線の渋谷地上駅と周辺の街区は2018(平成30)年に「渋谷ストリーム」、東急プラザは2019年に「渋谷フクラス」、渋谷地上駅も同年に「渋谷スクランブルスクエア東棟」へと、駅と直結する既存の施設が解体され、区画整理を行って次々とビルが竣工していきました。

 その一方、駅の南西に位置する桜丘町は、国道246号ならびに首都高速3号渋谷線によって分断され、駅から直結する街ではなかったこともあり、再開発事業から残されていました。

 桜丘町は商業地域と住居がミックスされた街です。駅に近い街区は国道246号とJR山手線に面して中小のビルが寄り添い、西側は台地がせり上がる地形により、桜並木の美しい「さくら坂」や、「蛇崩(じゃくずれ)」といった坂が建物のあいだをすり抜けるようにして存在し、渋谷の繁華街にしては大人しい雰囲気を醸し出しています。

 それでも2019年5月、駅に近い街区が「渋谷駅桜丘口地区第一種市街地再開発事業」として着工。2023年11月に、4棟の複合ビルから成る「渋谷サクラステージ」が竣工しました。名称の由来は桜丘町からです。渋谷サクラステージの竣工により、渋谷駅を中心とした街の再開発は、ひととおり完成したことになります。

遠かった新南口が移転開業

 同時に、JR渋谷駅でも大きな動きがありました。渋谷3丁目にあった埼京線用の新南口改札を2024年7月に移転し、渋谷サクラステージと渋谷ストリームの連絡デッキに直結させたのです。新たな新南口改札は埼京線ホームを経由せずとも山手線と相互利用ができ、今まで国道246号で分断されていた桜丘町方面へのアクセスが改善されました。

 さて、渋谷サクラステージはA、B、C街区に分かれて開発されました。A街区はオフィスと商業エリアの38階建て複合施設「SHIBUYAタワー」と、17階建ての「セントラルビル」から構成される「SHIBUYAサイド」。B街区は楕円形の低層ビル「SAKURAテラス」と、住宅やオフィスなどの入った30階建て「SAKURAタワー」から構成される「SAKURAサイド」。C街区は日本基督教団の中渋谷教会となっています。

 再開発工事はコロナ禍を挟んで4年間に及び、開発前はどんな姿をしていたかご存じない方もいらっしゃるでしょう。こういった大規模再開発の4年間というのは、記憶が曖昧になるにはじゅうぶんな月日の長さです。筆者(吉永陽一:写真作家)は桜丘町に長年縁があり、消えていく姿を残そうと、人々が去った直後の再開発地域を記録しました。

 なるべく定点撮影したものを紹介したかったのですが、起伏ある地形をならすほどの工事であったため、道路すら位置が変わっており、同じ地点となると建物内になってしまう場所もあって、厳密な定点は叶いませんでした。つまりそれほど大規模に再開発されたという証でもあります。

60年間“大人しめな街”として

「渋谷駅桜丘口地区第一種市街地再開発事業」として指定されたのは、桜並木が立派な「さくら坂」と山手線に挟まれた約2.6ヘクタールです。数字ではピンときませんが、中小のビルやアパートが建ち並んでいた街が5ブロックほど、100m×200m四方がまとめて再開発されました。敷地は長方形ではなく、台地と低地の境界の地形のため起伏が多く、中小の企業、商店、住居が、坂の多い狭い道路に軒を連ねていました。

 このエリアは一歩奥へと入れば上り坂が分岐して、坂の多い渋谷ならではの地形が現れ、戦前から残されてきたアパートもひっそりと佇んでいました。初見では方向感覚が失われやすく、線路沿いに出なければ迷ってしまうほどでした。

 桜丘町は戦前から戦後にかけ、大和田町の名称でした。その時代は低層家屋の商店や住宅が軒を連ね、ポツンポツンとモダンなビルが建ち、渋谷駅方向まで街が形成されていました。

 しかし1964(昭和39)年の東京オリンピックに合わせ、幅約50mの国道246号を駅南側へ整備したことによって、駅と街が分断されてしまいます。駅と街が国道によって隔絶したことで、個人商店や住宅が集まる姿を残したまま、低層家屋は小さなビルへと建て替わり、住居兼商店のビルも多く誕生しました。そして“若者でにぎやかな渋谷”のなかでも比較的静かで落ち着いた、ちょっと大人しめな街が形成されていったのです。

 それから60年。駅と分断されていた桜丘町は、再開発によって再び駅と直結することになりました。JR新南口改札口が移転してからは、明らかに人の流入が増えています。渋谷サクラステージは2024年7月25日に37のテナントがオープンとなり、様々なショップが開店しました。

 約120人もいたという地権者の合意は時間がかかったようですが、2019年1月の撮影ではほぼ全ての建物から人が消えていました。漆黒の闇のなか、窓の明かりもなく、入口が閉鎖された街は冷え切っていました。解体風景は長年見つめてきた身にとって辛い場面でしたが、新たな街となるのは渋谷の宿命なのです。

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