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「見た目ほぼ戦艦ですよね?」 条約無視でどんどんデカくなった“重巡洋艦” ほら、やっぱり戦艦に間違われた

乗りものニュース / 2024年8月8日 6時12分

就役したばかりの頃の、ドイツ海軍の重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」。艦首は直立型だが、すぐにクリッパー型に改造される。1939年12月撮影(画像:ドイツ連邦公文書館)。

第一次世界大戦の敗戦で、軍備が制限されたドイツ海軍は、英独海軍協定締結後に再軍備を推進。こうして建造された軍艦のひとつが、ドイツ唯一の重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」級でした。

このままでは他国と肩を並べられない

 ドイツは第一次世界大戦の敗戦後、ヴェルサイユ条約で天文学的数字の賠償金や、大幅な軍備の制限を課せられます。海軍も例外ではなく、保有できるのは旧式戦艦6隻、軽巡洋艦6隻などわずかな戦力で、新造艦も戦艦の代艦であれ、基準排水量1万トン、主砲口径28cm砲以下とされました。
 
 同じころの日本戦艦「長門」は、常備排水量3万3800t、主砲は41cmでしたから、ドイツは他国戦艦と戦える軍艦建造は不可能だったのです。そのためドイツは1922(大正11)年のワシントン海軍軍縮条約以降、各国海軍で建造が進められていた重巡洋艦を建造できませんでした。

 ただ、当時のドイツは黙っていません。のちに「ビスマルク」と誤認されるまでの大型巡洋艦を建造しています。

 ドイツが最初に重巡的な軍艦を検討したのは、ドイチュラント級装甲艦でした。計画されたのは基準排水量1万トン、28cm砲6門装備、速力28ノット(約51km/h)の艦型。なお、重巡に近い艦型も検討されましたが、火力不足で不採用でした。

 その後、ドイツはヴェルサイユ条約を破棄し、1935(昭和10)年にイギリスと英独海軍協定を結んだことで、諸外国並みの軍艦建造が可能となります。ただしそれを見越して、ドイツの重巡開発は1934(昭和9)年から開始されていました。フランス海軍の新型戦艦「ダンケルク級」(基準排水量2万6500トン、33cm砲8門装備、30ノット〈約55.6km/h〉)から離脱でき、重巡「アルジェリー」に対抗できる砲撃力、大西洋作戦が可能な航続距離が求められました。

 当初案は基準排水量1万700トン、20.3cm砲8門装備、舷側装甲80mm、32ノット(約59.3km/h)でしたが、ドイツ海軍の総司令長官・レーダーは「攻撃力と防御力が不足」として却下。攻撃力は魚雷兵装と対空兵装強化、防御力は砲塔や弾火薬庫防御強化と、設計変更されます。

 この結果、排水量が大幅に増大しました。当初案ですら条約制限を700トン超過していたのですが、設計変更後は1万4050トン(完成時は1万4454トン)と大幅に超過したのです。

条約制限を大幅に超過

 完成したアドミラル・ヒッパー級は、日本の高雄型の1万1350トン(大改装後1万3400トン)、イタリアのザラ級の1万1680トンより重く、世界最大の重巡でした。本級を超える排水量の重巡は、条約終了後にアメリカが建造したデ・モイン級の1万7273トンだけです。船体サイズも他国重巡より大きいヒッパー級は、意図的に戦艦に似せたデザインで、堂々たる艦容でした。

 レーダーはこの案を承諾し、対外的には1万トンと発表しました。つまりアメリカ、イギリス、フランスの重巡より約4割排水量が多かったのですが、では性能はどうだったのでしょうか。仮想敵だった「アルジェリー」、同世代艦のアメリカ重巡「ウィチタ」と比較してみましょう。

●アドミラル・ヒッパー
基準排水量1万4454トン、全長205.9m(改装後)、全幅21.3m、20.3cm56.7口径砲8門、10.5cm60口径高角砲12門、舷側装甲80+50mm、水平装甲20~30mm、砲塔前盾160mm、53.3cm3連装発射管4基12門、航空機2機、速力32.5ノット(約60.2km/h)、航続距離1万2593km(19ノット〈約35.2km/h〉時)

●アルジェリー
基準排水量1万トン、全長186.22m、全幅20m、20.3cm55口径砲8門、10cm45口径高角砲12門、舷側装甲110mm+20mm、水平装甲30~80mm、砲塔前盾100mm、55cm3連装発射管2基6門、航空機3機、速力31ノット(約57.4km/h)、航続距離1万4816km(15ノット〈約27.8km/h〉時)

●ウィチタ
基準排水量1万589トン、全長185.42m、全幅18.82m、20.3cm55口径砲9門、12.7cm25口径高角砲8門、舷側装甲51~165mm、水平装甲57mm、砲塔前盾203mm、航空機4機、速力33ノット(約61.1km/h)、航続距離1万8520km(15ノット〈約27.8km/h〉)

 上記の通り、アドミラル・ヒッパー級はヴェルサイユ条約下でドイツの設計経験が少ないこともあり、4000トン以上小さい「アルジェリー」とほぼ互角、「ウィチタ」には主砲数、装甲厚、速力、航続力の全てで劣り、的が大きくなるので小さくしたい船体サイズでも10%以上上回りました。ただ主砲の20.3cm60口径(他国基準だと56.7)口径砲は命中精度に優れ、最大射程3万3540mは実用的な20.3cm艦載砲の中では世界一でした。

アドミラル・ヒッパー級は3隻が完成

 アドミラル・ヒッパー級の舷側は垂直装甲と、水平装甲の一部を傾斜させて垂直装甲の裏に二重装甲として配置していましたが、1枚板の分厚い装甲を重視した他国と比較すると、重量が重く、防御された区画が少ない欠点がありました。それでも垂直側防御力は他国に劣りませんでしたが、水平装甲はかなり薄く、航空爆弾や遠距離砲戦の命中弾には不安がありました。

 最大の問題点は機関で、鋼材の強度不足と過度な軽量化、高温高圧化により不具合が多発し、長時間の高速運転ができませんでした。アドミラル・ヒッパー級は5隻が計画され、うち完成したのは3隻。最後に建造された「プリンツ・オイゲン」では船体がさらに大型化し、基準排水量は1万5660トンに増大しています。

 第二次世界大戦で「アドミラル・ヒッパー」は、駆逐艦3隻撃沈、輸送船・商船を計11隻撃沈などの戦果を上げます。3番艦「プリンツ・オイゲン」は1941(昭和16)年5月、戦艦「ビスマルク」と共にライン演習作戦に出撃し、戦艦と誤認されてイギリス戦艦に砲撃されるなどして、砲火を分散させました。戦艦に似せた設計意図が当たったわけです。そして終戦まで生き延びました。

 終戦時「プリンツ・オイゲン」はドイツで唯一の行動可能な大型艦でしたが、戦後の1946(昭和21)年、ビキニ環礁で行われた水爆実験に駆り出され、沈没しました。

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