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序列低い? 「ニーヨンロク」こと国道246号なぜ“3ケタ”なのか 知名度バツグンの大幹線

乗りものニュース / 2024年9月7日 12時12分

東京都内で国道246号を示す案内標識。一帯では「青山通り」の名称がある(画像:PIXTA)。

新善波トンネル出口での法面崩落の影響で、一部区間で不通となっている国道246号。東京都心~沼津間を結ぶ大幹線で、ほとんどの区間で鉄道や高速道路が並行しています。しかし番号は3ケタ。せめて2ケタの風格はありそうなのに、なぜでしょうか。

大幹線のはずだけど…

 台風10号の接近に伴った豪雨の影響により、出口付近の法面が崩落した国道246号の新善波トンネル(神奈川県伊勢原市~秦野市)が2024年8月30日から通行止めに。9月9日復旧の見込みです。東京都心部と静岡県沼津市とを結ぶ大動脈の寸断は、周辺交通に大きな影響を及ぼし、並行する東名高速道路と新東名高速道路では国道246号の渋滞を緩和するため、一部区間で無料措置が取られています。

 沿線住民やドライバーからは「ニーヨンロク」と呼ばれ、また2020年にはアイドルソングの表題にもなった国道246号。東京側から見れば渋谷や二子玉川、神奈川県に入ると川崎市や横浜市のベッドタウンを経由し、静岡県内では御殿場市や裾野市など主要都市を結びます。県境区間など一部を除いて4車線以上あり、交通量も終日多く堂々たる大幹線です。

 しかし、なぜか国道番号は「3ケタ」。東京都心から放射状に延びる国道は、1号、4号、6号、15号、17号などがありますが、246号も、もう少し若い番号が付きそうな風格と知名度がありそうなものです。

 結論をいうと、国道に指定された当時、国道246号は現在ほどの規模ではなかったからです。

 そもそも国道246号のルーツは、江戸時代に東海道の脇往還として整備された道路でした。生糸や茶などを駿河国や相模国から江戸へ運ぶために活用されたほか、特に江戸中期以降は、山岳信仰の対象であった大山(神奈川県厚木市・秦野市・伊勢原市)詣のための街道として発展しました。ゆえに別名を「大山街道」といいます。

かつての区分「一級・二級国道」とは

 ただし時代が下れども大山街道は、大部分が農村地帯を行く狭隘路でした。戦後、新たな道路法によって国道が定義された際も大山街道は対象から外れ、初めて国道に指定されたのは1956(昭和31)年のことでした。

 当時、国道は一級と二級に区分されていました。かんたんにいえば一級の方が格上で、全国的な幹線道路網を構成する道路などが対象です。一方の二級は人口10万人以上の都市間道路などでした。そして付番について、一級は1ケタか2ケタ、二級は3ケタとされました。

 大山街道は二級国道に指定されました。原則、指定された時点で北に位置するものから順に付番されていった中、「246号」となったわけです。なお指定から9年後の1965(昭和40)年、道路法改正に伴い一級と二級の区分が無くなり、一般国道246号として現在に至ります。

 かつては大名や武士も往来した東海道をルーツとする国道1号や15号と比べ、先述の通り東海道の脇往還をルーツとする大山街道は性格が異なります。国道15号は大正時代には交通量が増大し、道路拡幅や橋の改築を行っていたほどです。これらの国道と比較すると、国道246号は最近まで、重要度はそれほど高くなかったのでした。

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