領空侵犯対処で大失敗のスイス「軍の営業時間は午前9時からです」日本にとっても他人事ではない理由
乗りものニュース / 2024年9月9日 6時12分
ヨーロッパの永世中立国スイスは、その国是を守るため国民皆兵の政策を堅持しています。しかし、冷戦終結後、国防予算の削減を行った結果、軍の即応性が損なわれる事態に陥ったとか。日本にとっても他人事ではないようです。
スイス空軍が10年前にやっちまった大失態
2024年8月26日、防衛省は中国人民解放空軍のY-9情報収集機1機が、長崎県男女群島沖で領空侵犯したと発表しました。
これに対し、航空自衛隊は戦闘機を緊急発進(スクランブル)させ、通告および警告を実施するなどして対応にあたったそうですが、このような素早い対応がとれたのは24時間365日、絶え間なく航空自衛隊が周辺空域を警戒監視し、全国の基地では戦闘機が常時待機しているからにほかなりません。
もし、このような即応態勢がなかったら、中国軍機の領空侵犯はもっと長く続いていたでしょう。じつはこのような態勢を維持するには相応のコストがかかります。しかし、世界を見渡すと、立派な戦闘機を保有していても、予算削減と軍の規模縮小の影響から、空軍戦闘機がスクランブルできず失態を演じたケースがありました。
それは、今から10年ほど前のスイスで起こりました。2014年2月17日午前6時頃、スイス西部の主要都市ジュネーブにある国際空港に、ハイジャック犯に乗っ取られた旅客機が着陸したのです。のちに「エチオピア航空702便ハイジャック事件」と呼ばれるようになったこの事件では、最終的に犯人は逮捕され、乗員乗客は全員無事でしたが、このときスイス社会を震撼させたのは、ハイジャックそのものよりもスイス軍の対応でした。
ハイジャック事件が空軍の業務時間外(午前8時~12時、午後1時30分~午後5時)である早朝に発生したため、戦闘機のスクランブル発進が行われず、フランス空軍に頼らざるを得なかったという事実が明るみになったのです。
「国民皆兵の重武装国家」という姿は幻想か
スイスは国民皆兵制度と重武装を掲げ、小国ながらどの陣営にも属さず、第一次と第二次の両世界大戦、その後も東西冷戦においても中立を保ち続けてきました。そのスイスの領空を守るべき空軍が、平日の午前9時から午後5時までの日中しかスクランブル待機を行っていないという事実は、国民に衝撃を与えます。
なぜ、そのような状況に陥ったのかというと、冷戦終結後の平和な国際情勢を背景に国防予算が削減されたから。その結果、空軍の運用体制までも縮小されていました。
この事態は、スイスの安全保障に対する認識を根底から揺るがすものでした。中立という外殻のもと、国土と国民を守るための備えを怠ってきたのではないかと、国を挙げて自問自答せざるを得なくなったのです。
スイス政府は、事態を改善するために「航空警察24」計画として抜本的な改革に乗り出します。フランスやイタリアといった隣国にスクランブルを委託していた状況を脱し、自国で24時間365日、年中無休の空軍を構築することが目標となりました。
すると、その計画案自体2009年には存在していたものの、5年ものあいだ実際に予算が投入されることなく放置されていたことが判明します。周囲をフランスやドイツ、オーストリア、イタリアといった先進国に囲まれたスイスにとって、もはや戦争は過去の出来事であるかのように国民全体が捉えていたことが、このような日中のみの対応につながったと考えられます。
平和であるがゆえに、スクランブル待機24時間化に伴う人員100名と年間3000万スイスフラン(約50億円)の予算を用意し、空軍を増強するなどという決定は誰にもできなかった、誰もしようとしなかったといえるでしょう。
年中無休のスクランブル体制はつい最近
エチオピア航空機ハイジャック事件は、スイスにとって、平和な時代における安全保障のあり方を問い直す契機となりました。中立という原則を堅持しつつも、現実的な脅威に対しては適切な対応を行うことの重要性が、改めて認識されたのです。
それは火災が発生してから消防署を建築し、消防車を揃え、消防士を訓練し始めたとも形容できる、全てが遅すぎる対応でしたが、それでも着手しないよりはマシです。
最初のステップは2016年に実施され、2機のF/A-18「ホーネット」戦闘機が平日の午前8時から午後6時まで利用可能になりました。2017年には365日に拡大されます。そして2019年初頭には、その時間が午前6時から午後10時までさらに伸び、ハイジャックから約7年後の2020年12月31日には、年中無休いつでも15分以内にスクランブルが可能な状況にまで、空軍の体制が改められました。
スイス空軍の夜明けは、平和な時代における安全保障のジレンマを象徴する出来事と言えるでしょう。中立という理想と、平和であることによってその重要性が忘れ去られた軍備、現実的な安全保障の必要性との間で、各国は常にバランスを取らなければならないのです。スイスの経験は、このジレンマに対するひとつの答えを示唆していると筆者(関 賢太郎:航空軍事評論家)は捉えています。
平和な時代でも安全は無料(タダ)ではありません。また、必要になってから揃えはじめても、それでは遅すぎるのです。自衛隊の規模を縮小させることは簡単です。しかし、一度失ったノウハウを再建するには、より多くのコストと年月が必要になるのは論を俟ちません。
スイス空軍のスクランブルに関する一連のゴタゴタは、翻って中国軍機による我が国領空の侵犯問題にもつながる「他山の石」と言えるのではないでしょうか。
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