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クルマ・バイクに「目ん玉ステッカー」なんだアレ? じつは70年の歴史あり 崖っぷちを救ったのは1人の日本人だった!?

乗りものニュース / 2024年9月13日 18時12分

「MOONEYES」のトレードマークである「アイボール 」(画像:MOONEYES)。

クルマやバイクのカスタムファンにはお馴染みの「MOONEYES」。アメリカ生まれのカスタムブランドのピンチを日本人が救ったのはあまり知られていません。数奇な縁で始まった老舗カスタムブランドの物語とは。

アメリカン・カスタムカルチャーの老舗ブランド「MOONEYES」

 一般道を走っていると、黄色い「アイボール(目玉のマーク)」デザインのステッカーを貼ったクルマやバイクを見かけることがあるかもしれません。

 よく見ると目玉の上側には「MOON」の文字が。これは「MOONEYES(ムーンアイズ)」というブランドのロゴマークになります。じつはこのブランド、一時はすっかり忘れ去られた存在になっていたことも。その復活にはひとりの日本人が大きく関わっていました。

 そもそも、MOONEYESの歴史をひも解くと、1940年代のアメリカに遡ります。創業者の名前はディーン・ムーン。彼は、高校生の頃からスピードの魅力に取り憑かれ、自動車整備工場のアルバイトでお金を貯めると、中古車を買って自らチューニングし、スピードトライアルやドラッグレースに参戦していました。

 しかし、ほかのクルマ好きの若者と違っていたのは、バイト先で覚えた技術を使ってフューエルブロックなどのカスタムパーツを製造し、父親が経営する店先でそれを販売していたことでした。

 第二次世界大戦が終結すると、彼は戦争で中断していたレース活動を再開すると同時にパーツビジネスへと本格的に参入、自社販売のほか大手パーツショップへの卸売を始めます。この時にムーンさんがスポンサーをしていたドラッグマシンのゼッケンが00番であったことから、遊び心で数字を目に見立てて瞳を描き入れたことが、のちにトレードマークとなる「アイボール」の由来となりました。

 朝鮮戦争に空軍カメラマンとして従軍した彼は、除隊後に三度レース活動とパーツビジネスへと舞い戻ります。そのなかでレースカーに航空力学を応用するアイデアを思いつくと、軽量で空力に優れた「MOON DISCS」と呼ばれるホイールディスクを開発。これを装着したマシンは速度性能が向上したことから、爆発的なヒット商品になりました。

 加えてHOTROD用のアルミ製燃料タンク「MOON TANK」などのヒット商品を相次いで生み出したことで、彼はビジネスで大成功を収めます。その結果、1957年にカリフォルニア州サンタフェスプリングに、「MOON EQUIPMENT COMPANY」のショップと工房をオープンさせました。

数奇な縁で結ばれた日米のクルマ好き

 1983年10月、サンタフェスプリングにある「MOONEYES」のショップにひとりの日本人青年が訪れます。彼は「シゲ菅沼」こと菅沼繁博さん。学生時代に南カリフォルニアに留学し、アメリカのモーターカルチャーの虜となった彼は、新婚旅行を利用して愛車のトヨタ・ハイラックスに装着すべく「MOON DISCS」を買いに訪れたのでした。

 この頃の「MOONEYES」は、レース環境の変化から往時の賑わいはすっかり過去のものとなっていました。たまたまこの時はムーンさんと会えなかったものの、首尾よく4枚の「MOON DISCS」を購入。帰国後、菅沼さんは早速愛車に取り付けます。すると、彼のクルマ仲間が「どこで売っているんだ?」「カネを出すからオレにも売ってくれ」と詰め寄って来たそうです。

 そこで彼は渋々ながら輸入代行を引き受け、友人から頼まれた12台分をMOONEYESに発注しました。ただ、これにより友人の友人、そのまた友人へと「MOON DISCS」の評判が波及、どんどん注文が殺到し、それを受け菅沼さんの輸入代行業は終わることなく続いたのです。

 するとある日、彼の元に1本の国際電話がかかって来ました。電話の主はムーンさんです。用件を聞くと「安くするからMOON DISCSを24台分買わないか」とのオファーでした。

 この電話がふたりの運命を変えることになりました。当初は自動車ビジネスに乗り気でなかった菅沼さんでしたが、アメリカン・モーターカルチャーのレジェンドからの申し出を無碍に断ることはできません。結果、会社勤めの傍でカスタムパーツの輸入販売の仕事を手がけるようになったのです。

亡き創業者の意思を引継ぎブランド守った!

 当初ふたりのやりとりは手紙でしたが、幾度となく取引を重ね、コミュニケーションを図っているうちに、両者の関係は親子のそれにも似た親密なものになっていきました。

 そんなある日、ムーンさんから「お前こそMOON OF JAPANだ!」の言葉とともに日本で代理店を任せたいとの申し出がありました。迷いはあったものの受けることにした菅沼さんは、1986年に横浜市元町に小さなショップをオープンさせ、翌1987年には日本初のカスタムカーショー「第1回ストリートカーナショナルズ」を開催します。

 順風満帆なスタートを切った菅沼さんでしたが、イベント開催から3か月後、ムーンさんが病で急逝したとの連絡が飛び込んできました。後継者不在となったMOON EQUIPMENT COMPANYは売りに出されますが、買い手として名乗りを上げたアメリカ企業はそのブランドが欲しかっただけで、事業継続の意思は全くありませんでした。

 そこでムーンさんの遺志を継ぐべく、菅沼さんはアメリカのMOONEYES買収を決意。日米で展開するMOONEYESブランドは、こうして昔と変わらぬスピリッツで継承されることになったのです。

 それから約40年。現在も人気ブランドとしてカスタムファンから支持を受けるMOONEYESは、創業者ムーンさんの遺志を継ぐひとりの日本人によって守られたと言っても過言ではないでしょう。

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