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「スタジオジブリ」宮﨑 駿がメッチャ愛する“異形のクルマ”とは? 事務所「二馬力」の由来にも

乗りものニュース / 2024年9月16日 18時12分

第二次世界大戦中にイタリア空軍が運用したカプロニCa.309偵察機。カプロニは『風立ちぬ』に創業者のジャンニ・カプローニ伯爵が登場。戦後はオートバイ製造へと転身した(画像:米国立公文書館)。

国民的アニメと称されるほど人気のジブリ作品。その顔ともいえる宮﨑 駿監督は、実は大の飛行機好きにしてメカ好きです。スタジオジブリや宮﨑さんの個人事務所の「二馬力」の名称の由来、そして彼の愛車について見てみます。

「ジブリ」と「二馬力」、どちらも乗りもの由来

 スタジオジブリは1985年の設立以来、名作・傑作と呼ばれる劇場用長編アニメを数多く制作し、その多くをヒットさせてきました。そして、ジブリ作品の多くが老若男女問わず幅広いファンを持つ、今では多くの人から「国民的アニメ」として親しまれています。

 そんなジブリの看板監督が宮﨑 駿さんです。彼は飛行機が主体のオリジナル作品『紅の豚』や『風立ちぬ』を制作したほか、やはり主人公が空駆ける『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『魔女の宅急便』を手掛けるなど業界屈指のヒコーキ好き、メカ好きで知られます。そんな彼の愛車は、「いかにも」なモデルでした。

 そもそも宮﨑さんは、学習院大学を卒業後、東映動画に入社するとアニメーターとして長編アニメの制作に参加したのち、スタジオを移籍しながら『ルパン三世』や『アルプスの少女ハイジ』『未来少年コナン』などのTVアニメの制作に携わっています。

 1979年には『ルパン三世カリオストロの城』で映画監督デビューを飾ったものの興行的には不発に終わり、この失敗により数年間仕事を干されてしまいます。しかし、1984年の『風の谷のナウシカ』の成功がきっかけとなり、徳間書店の出資を得てスタジオジブリを開設。以後、『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』などのヒット作を連発していきます。

 そもそもスタジオジブリの名称は、サハラ砂漠に吹く熱風に由来しているのとともに、カプロニCa.308偵察機の愛称でもあります。そして彼の個人事務所の名前は「二馬力」(のちにスタジオジブリと合併)。これは宮﨑さんが愛用するフランスの大衆車、シトロエン2CVの愛称に由来します。

 宮﨑さんがメカに興味を持ったのは、その生まれに理由がありました。彼の父親は一族が経営する「宮﨑航空機製作所」の役員で、生家には未公開の旧軍戦闘機の資料などがあり、少年期の宮﨑さんはそれらに触れたことで、航空機や軍艦などへの興味を持ち、知識を増やしていきました。

 とはいえ戦後、大学に進学した宮﨑さんは、経済学の授業で「戦争がいかに経済的に不合理であるか」との講義に感銘を受け、戦争という行為の愚かさを悟り、それまで収集した軍事関連の書物を泣きながら焼いたそうです。もっとも「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので、宮﨑さんはしばらくすると再び資料集めを始めたそうですが……。

監督は「クルマ社会大嫌いのクルマ大好き人間」

 メカ好きの宮﨑さんでしたが、クルマに興味を持ったのは意外にも遅く、東映動画在籍中に免許を取得し、1967年に初めての愛車となるシトロエン2CVを中古で購入しています。

 1960年代と言えば、庶民でも手が届く国産大衆車が登場した時期でもあり、好景気の追い風もあって、庶民の間でマイカーが普及し始めた頃です。ただ、彼はそうした風潮を「軽薄だ」として嫌っていたとのこと。

 しかし、1965年に朱美夫人と結婚。長男の吾郎さんを授かると夫婦共働きだったこともあり、子どもを保育園へと送り迎えするのにクルマが必要となって、マイカー族へ転向。フランス映画『恋人たち』に登場するブリキ細工のような2CVに触発された宮﨑さんは、クルマ好きの先輩アニメーター、大塚康生さんに相談し、中古車を探してもらいます。

 大塚さんが見つけた2CVは、もともとプリンス自動車の社員が所有していたクルマで、前年に同社が日産と合併することになり、内規で他メーカー車の所有が禁止されたことから、個人間売買で売りに出されていたクルマでした。

 実車を試乗した宮﨑さんは、簡素で合理的な設計の2CVを「このクルマそのものが文明批判だ!」とすっかり気に入り、一説には家賃10か月分の代金で購入を即決したそうです。後年、宮﨑さんはこのクルマとの出会いによって「クルマ社会大嫌いのクルマ大好き人間」になったと語っています。

最初の愛車はポンコツの2CV

 ですが、宮﨑さんが購入した2CVは、1954年にタクシー用に輸入された車両が自家用に払い下げられ、そこから複数のオーナーを渡り歩いてボロボロになった正真正銘のポンコツでした。

 そのため、走行中にドアやキャンバストップが開いたり、サビで穴が開いた燃料タンクからはガソリンが漏れたりするなどトラブルが多発。路上で立ち往生することも珍しくはなく、同僚からは「ヘンなポンコツ外車を買っちゃって……」と気の毒がられていたとか。とはいえ、宮﨑さんは周囲の評判など意に介さず、お気に入りの2CVを得意げに乗り回していたそうです。

 宮﨑さんは途中、中断を挟みつつ、現在までに数台のシトロエン2CVを乗り継いでいます。最初の愛車は375ccエンジン搭載の初期型でしたが、角目ヘッドランプの1970年代製造のモデルを経て、現在は602ccエンジンを搭載した最終型を所有しています。なお、以前報道されたTVのドキュメンタリー番組には、所沢市の自宅から小金井市のスタジオへと2CVで通う宮﨑さんの姿が収められていました。

 1985年に発表されたイラストエッセイの中で宮﨑さんは、「シトロエン2CVは1930年代のフランス機の末裔である」として、戦前のフランス航空機との設計思想の類似性を指摘しています。特に2CVのルーフラインに関して「同世代の大型爆撃機ブロシュMB.200のコクピットまわりに形状がそっくりだ」との見解を述べていました。

 ほかにも「小さなエンジンの安いクルマを作るために2CVは、軽量化を飛行機的発想で行ったのである」と述べたうえで、「乗用車の設計思想は同時代の航空機のそれを反映する」との結論を明記しています。

 これらを判断するに、おそらく宮﨑さんは2CVに内在するフランス的合理主義と、飛行機を思わせる軽量設計、簡素で効率的なメカニズムを愛しているのではないでしょうか。

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