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「プロペラ裏からズドドドって弾が!?」“フォッカー懲罰”プロペラ撃ち抜かないを搭載した初の戦闘機が与えた衝撃とは

乗りものニュース / 2024年9月28日 18時12分

同調機関を初めて搭載した戦闘機フォッカーアインデッカー(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。

第一次世界大戦の初期、プロペラを撃ち抜かない画期的な機能「同調機関」がドイツで開発されました。この機能を初搭載したのがフォッカー「アインデッカー」で同機の活躍はイギリスでは「フォッカー懲罰」と呼ばれました。

プロペラの隙間から弾を撃つ画期的な機体

 1914年7月から1918年11月まで欧州を中心に世界中が戦場となった第一次世界大戦は、現代につながる新たな兵器が数多く開発された戦争でもあります。中でも戦闘機の開発は、後に空戦、空軍の登場・発展につながる大きな革新だったと言えるでしょう。その端緒のひとつといえるのが「フォッカー懲罰」と呼ばれる出来事です。

 第一次世界大戦の勃発直後から、偵察機として使用された飛行機は、戦場の様子や敵陣地のありようなどをすべて暴く恐ろしい兵器となり、その偵察機を撃墜するために戦闘機が生まれ、その戦闘機を撃退し航空優勢を取るために空戦が始まりました。

 そのころ、戦場に送り出されたドイツの戦闘機がフォッカー「アインデッカー」です。「アインデッカー」とは、単葉機を意味するドイツ語でさまざまなバリエーションがありました。そんな同機の最大の特徴は、パイロットがプロペラを撃ち抜くことなく機関銃を発射できる「同調装置」という装置を史上初めて備えたことです。

 原理としては、機銃の前にプロペラのブレードがある場合に限って、弾丸を発射できるようになっています。そうすると、次のブレードが銃口の前に来るごく短い時間の間で、弾丸が通りすぎるようになっています。

 同調装置の登場により、前方で機関銃を撃つために、邪魔なプロペラを離着陸時に破損する可能性がある機体後部に設置する推進式機にする必要も、別に機関銃手を置いて射撃させるという重量と面倒を増やすこともなくなりました。さらに、パイロットにとっても、照準しやすい目線と同じ位置に機銃があるため、命中精度が各段に向上するというメリットをもたらしてくれるものであり、純粋に空対空戦闘を追求した最初期の軍用機だと言える存在でした。

実は「懲罰」にはかなり誇張も入っていた?

 1915年夏、フォッカー「アインデッカー」が戦場に登場すると、その単葉機ならではのスピードと、プロペラの隙間から繰り出される強力な機関銃の攻撃力、そして優れた命中精度に、まだ軽武装の偵察機しか持たなかったイギリス軍航空部隊は恐怖しました。

 新聞などのメディアは、その様子をことさら強く伝え、そこから「フォッカーの懲罰」や「フォッカーの餌食」という言葉が生まれます。自国の航空機は、まるで罰を与えられたかのようにやられてしまった、というのです。

 なお日本語では「懲罰」という言葉があてられることが多いこの言葉ですが、実際の英語では「Fokker Scourge(フォッカーの災難)」という言葉が使われており、イギリスから見たら、フォッカー「アインデッカー」は、天災・災害のように大きな力で避けがたい、災難のようなものと考えられていたようです。

 しかし、この「フォッカーの懲罰」ですが、実際のイギリス軍の被害はそう大きなものではなかったことがわかっています。1915年夏の時点でフォッカー「アインデッカー」は、6機1編隊の偵察機部隊に1機が割り当てられて護衛として配備されているだけで、数も多くありませんでした。

 7月1日の時点で、フランスのモラーヌ・ソルニエ L複座パラソル単葉機を撃墜したという未確認の記録が残されているものの、その後の半年間で撃墜された連合国軍の飛行機は偵察機と軽武装戦闘機合わせて19機。そのうちフォッカー機によって撃墜されたイギリス機は9機だけでした。

 この数は、その後1917年と1918年に起こった激しい空戦で失われた飛行機と比べるとはるかに少ない数です。ドイツ軍はこの時点では戦闘機部隊もまだ発足しておらず、フォッカーアインデッカーも、武装こそ先進的ではありましたが、機体自体は平凡なものだったと言います。

 にもかかわらず、なぜ「フォッカーの懲罰」などという言葉が生まれ、連合国軍の飛行機が「フォッカーの餌食」などという名で呼ばれるようになったのでしょうか。

ドイツのイメージ戦略の勝利だった?

 どうやら、この時期、連合国軍側は、ドイツが戦闘機を開発したという情報は入手していたものの、その能力については甘く見ていたようなのです。

 その戦闘機を使ってドイツが想定以上の猛烈な反撃を見せたため、大慌てになってしまったというのが実情のようです。当初の損害は大して大きくなかったものの、「ドイツの強力な戦闘機の登場」対「自国の攻撃力のない飛行機」という構図に兵士たちの士気は大きく下がりました。

 さらに加えて、メディアは「フォッカーの懲罰」「フォッカーの餌食」などという言葉を使って、自国のふがいなさを叩きます。その一方、ドイツ軍はマックス・インメルマンやオズヴァルト・ベルケといったエースパイロットを使っており、ドイツ航空部隊の高い能力を見せつけるような宣伝工作まで目立ち始めます。この「フォッカーの懲罰」は、イギリス軍が自国メディアによって自滅したメディア戦略の失敗であったとも捉えることができるでしょう。

 事実フォッカー「アインデッカー」の武装システムは先進的でしたが、ほかの部分は戦前レース機がベースになっており戦闘機としては力不足な部分もありました。そのため、同調装置こそ持たないものの、新たにイギリス開発された推進式機のFE2や機銃を上翼中央に取り付けたフランスのニューポール11でも対抗するようになった1916年初頭には、ドイツ軍の空での優勢は終わります。そして、同調装置を搭載した機体を連合軍が投入すると、さらに激しい戦闘が空で展開されるようになりました。

 なお、第一次世界大戦の終結間際である1918年1月、ドイツ軍は新型戦闘機としてフォッカー D.VIIを投入しました。この新型戦闘機は極めて優秀であり、すでにドイツは敗戦の色が濃厚であったにもかかわらず、一瞬「フォッカーの懲罰再び」という機運が高まったほどでした。

 その直後に終戦となったため、二度目の「フォッカーの懲罰」は幻に終わりましたが、戦勝国となった連合国側はドイツにフォッカー D.VII前期の引き渡しを要求しています。翻ると、それほどまでにフォッカーの戦闘機は優秀だったと言えるでしょう。

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