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完成時点で余裕なし!? 窮屈すぎる京王新宿駅は「無理やり改造」の結果だった 10両編成を押し込むまでの苦難とは

乗りものニュース / 2024年10月11日 7時12分

構内でS字カーブを描く京王新宿駅の3番線(枝久保達也撮影)。

京王新宿駅は1963年の地下化以降、増え続ける乗客数に対応するように改造を繰り返してきました。狭い階段やホーム、不自然に並ぶ柱といった構造は、京王が輸送力増強に苦労を重ねた痕跡でもあります。

極狭ホームが語る苦難の歴史

 京王の新宿駅には1~3番線まで3つの乗り場と降車ホームがありますが、いずれも京王八王子方は非常に狭く、ルミネ口につながる階段は人がすれ違うのがやっとの幅しかありません。なぜこのような窮屈な構造になってしまったのでしょうか。そこには京王電鉄が軌道から郊外電鉄へ脱皮する上で苦難の歴史がありました。

 京王電鉄の前身である京王電気軌道は、1913(大正2)年に笹塚~調布間で開業しました。社名から分かる通り、京王は鉄道ではなく軌道として開業したため、現在の西新宿から新宿三丁目付近とつつじヶ丘付近には、道路にレールを敷いた併用軌道がありました。

 軌道とはいわゆる路面電車ですが、1905(明治38)年に開業した阪神電気鉄道以降、事実上の「鉄道」であっても路線の一部が道路上にあれば軌道として認められることになったため、先行して開業した京浜電気鉄道(京急)、京成電気軌道(京成)と同様、京王も路面電車ではなく郊外電車として建設された軌道です。

 ただ、一部であっても道路上を走る以上、軌道は小型車両を使わざるを得ません。京王も1950(昭和25)年に本格的な郊外電車タイプの16m車両「2600系」が登場するまで、全長11~13mの路面電車タイプの小型車両が用いられてきました。ちなみに今では同じ京王の井の頭線は5両編成で「短編成」とみられがちですが、これは「鉄道」だったため、当初から17m車両が用いられていました。

 京王線は1945(昭和20)年10月に法律上、軌道から鉄道に切り替わりますが、その後も新宿付近の甲州街道上に併用軌道が残りました。1953(昭和28)年に甲州街道の拡幅にあわせて道路と軌道を分離しますが、大型車両が道路を横切ることには変わりありません。そこで抜本的解決策として浮上したのが、新宿駅付近の地下化です。

 この間、東京の人口増加に伴い京王線の輸送量は急増しました。1950(昭和25)年に約4947万人だった輸送人員は、1955(昭和30)年に約8787万人、1957(昭和32)年には約1億892万人に到達。戦後直後は13m車両2両編成だったのが、1951(昭和26)年に16m車両3両編成を開始し、1957(昭和32)年に同4両編成での運転を開始しました。

 新宿駅と新宿~初台間の地下化は1958(昭和33)年に決定し、工事は1961(昭和36)年に始まりました。東京都が1960(昭和35)年に発表した新宿副都心計画が後押しした格好ですが、1964(昭和39)年の東京オリンピックでマラソンコースになる山手通り(環状6号線)の踏切除去が求められたという事情もあります。

地下駅完成と同時に余裕がなくなった

 新宿駅付近の地下化は1963(昭和38)年4月に完成しました。これが現在、使われている新宿駅ですが、当初は有効長110mのホームが4線の構造でした。翌年6月には地下区間が初台駅の先まで延長し、新宿~初台間の地下化が完了しました。なお旧新宿駅跡地に建設された京王百貨店が同年11月に開店しています。

 1963(昭和38)年4月に17m車両5両編成の運転を開始し、13m級の小型車両が廃止されました。同年8月に架線電圧を600ボルトから1500ボルトに昇圧し、アイボリーにエンジの帯という、現在の京王のイメージを作り上げた18m車両の旧「5000系」が登場、同年中には同車の6両編成が登場しています。

 有効長110mのホームは、18m車両×6両編成、つまり編成長108mの列車が限度です。完成と同時に設備に余裕がなくなってしまったわけですが、地下駅は容易に造り変えられません。しかし1963(昭和38)年からわずか3年で輸送人員は約3000万人も増加し、さらなる長編成化が急務となりました。

 そこで1968(昭和43)年、新宿駅のホーム1本を京王八王子方(南)に延伸して18m車両7両編成(編成長126m)に対応させ、5000系7両編成の運行を開始します。ホームを改札側(北)に延伸できなかったのか、と思うかもしれませんが、京王新宿駅の隣には新宿駅西口駐車場があり、伸ばせるのは京王八王子方だけだったのです。

 1972(昭和47)年に京王としては初となる4扉20m車両の「6000系」が登場。1975(昭和50)年には新宿駅の4番線を撤去して、3番線ホームを20m8両編成に対応させることで、6000系8両編成の運行を開始しました。

 この頃、並行して検討されていたのが、地下鉄10号線(都営新宿線)との直通運転です。京王と東京都交通局は1968(昭和43)年9月に20m車両10両編成の直通運転を前提とした基本協定を締結。1971(昭和46)年に着工し、1978(昭和53)年に相互直通運転を開始しました。

 京王は1979(昭和54)年、全線10両化の最大のハードルだった新宿駅の抜本的改良に着手。従来はホーム端近くに交差渡り線(分岐器)がありましたが、ホームを延長するために撤去。ただ、駅を出て直角カーブを過ぎるとすぐに勾配となっており、分岐器を設置できないので、線路の勾配を変更し、一部を平らにした上で交差渡り線を移設しました。

 新宿駅付近の水道、ガス管などがひしめき合う地下空間で、営業を継続しながらの改良工事は困難を極めましたが、1982(昭和57)年10月に完了し、同年11月から本線系統の特急・急行に10両編成の列車が登場しました。

 その他の各駅でも10両編成に対応したホーム延伸工事が進められ、最終的に1989(平成元)年の京王八王子駅地下化による10両編成化により、全線で10両編成の運行が可能になりました。新宿駅の細長いホーム先端は、京王の長きにわたる輸送力増強の取り組みの生き証人とも言えるでしょう。

 そんな京王新宿駅ですが、ここにきて思わぬ形でホームの延伸が実現しそうです。新宿駅西口再開発で西口駐車場の出入口が移設されるため、ホームを車止め方向に延伸し、ホーム階に改札口を新設する計画があり、2031(令和13)年度の完成が予定されています。これにより京王八王子方の極狭ホームは使用を中止する計画です。

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