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大和型が登場するまで「世界最大最強」 ナゾ多き最期も残骸は戦後に大活躍! 戦艦「陸奥」の生涯

乗りものニュース / 2024年10月24日 6時12分

1936年9月30日に完了した大改装後の戦艦「陸奥」。艦橋が大きく改造され、煙突が1本となった。

旧日本海軍の戦艦「陸奥」が1921年の今日、竣工しました。巨大な船体と主砲で戦果をあげることが期待されましたが、「謎の爆沈」で知られるように最期はあっけないものでした。しかし、戦後に思わぬ活躍をしていることも忘れてはなりません。

戦間期にはお召艦の栄誉にも

「世界最大最強の戦艦」といえば、旧日本海軍の「大和」「武蔵」が想起されます。しかしこれらが完成する以前は、長門型戦艦がそのように呼ばれていました。
 
 1921(大正10)年の10月24日は、そのような長門型戦艦の2番艦「陸奥」が竣工した日です。姉妹艦の「長門」やアメリカの「メリーランド」、イギリスの「ネルソン」などとともに「世界のビッグ7(世界7大戦艦)」にも数えられ、巨大な船体と主砲は特に、旧海軍の象徴でした。

 しかし竣工の翌月、ワシントン海軍軍縮条約により、「陸奥」はアメリカとイギリスから「未完成艦」と指摘されてしまいます。対外的な竣工こそ前月でしたが、実は艤装工事は完了しておらず、艦の完成度は8割ほどだったとも。しかし日本側は譲らず完成艦と主張。アメリカとイギリスにも新造艦の建設を認めることで、なんとか「陸奥」の保有も認めさせたのです。

 全長220mあまり、基準排水量3万3000トンあまり、41cm連装主砲4基8門搭載にして、最大速力は26.7ノット(約48km/h)。戦間期である1920年代には昭和天皇のお召艦になったほか、艦首の形状変更が行われています。

 さらに1934(昭和9)年9月から2年間、「陸奥」は大改装を受けます。水中防御力を強化すべく、とりわけ弾薬庫付近は鋼板を3層化し、砲戦に備え、機関室やボイラー室の上部は命中弾に耐えられるよう、甲板が厚くされました。

 ボイラーの換装や推進抵抗の軽減に寄与する艦尾の延長により、速力はやや低下したものの航続距離は約5800km(16ノット航行時)に延び、また高角砲の口径拡大など対空火力も強化されました。

戦艦の時代は終わりつつあった

「陸奥」の初陣は、1941(昭和16)年12月の真珠湾攻撃でした。ただ、この際の主力は空母機動部隊であり、「陸奥」は戦艦部隊として小笠原諸島近海まで航行しました。

 翌1942(昭和17)年6月には、勝敗の転換点となったミッドウェー海戦へ後方支援のため参加。「陸奥」にアメリカ軍との直接的な交戦はありませんでしたが、この海戦で日本は主力空母を4隻も失う大敗を喫します。「陸奥」は救助された空母「赤城」の乗員を生還させました。

 以降、「陸奥」は艦隊を組み南方へ進出しますが、海戦の主体が航空機を用いた空襲に移りつつある中で砲戦は起きず、加えて俊敏な駆逐艦隊との作戦行動においては“足手まとい”となってしまいます。燃料も不足しがちになり、「陸奥」は基地で待機することが増えていきました。

 1943(昭和18)年2月、「陸奥」は呉軍港の南、現在の山口県岩国市にある柱島の泊地へ移動。それから4か月後の6月8日正午過ぎ、3番砲塔付近から煙が上がったかと思うと突如にして爆発、船体は真っ二つに裂け、あっという間に沈没してしまいました。約1500人いた乗員のうち8割が死亡する大惨事でした。

「陸奥の爆沈」は極秘とされ、特に事故を目撃した戦艦「扶桑」の乗員に対しては箝口令が敷かれました。爆発の原因については今日に至るまで解明されておらず、主砲弾の自然発火説や乗員の放火説などが語られています。ただ旧海軍では過去にも、火薬庫の爆発事故によって戦艦「三笠」や巡洋戦艦「筑波」などを喪失しており、「陸奥」でも同様のことが起きたのではないかともいわれています。

大いに役立った「むつ鉄」とは

 終戦後、「陸奥」は数回に渡りサルベージを受けますが、なかでも1970(昭和45)年に行われたものが最も大規模で、その際に引き上げられた船体の鋼鉄が後に重要な役割を果たしています。「放射性物質の影響を受けていない鉄」という観点からです。

 史上で初めて核実験が行われた1945(昭和20)年7月16日以降に作られた鉄には、空気中に拡散されたコバルト60などの放射性物質がわずかに含まれているため、微量の放射線を検出する機器の製造には不向きです。しかしそれ以前に作られた鉄には、放射性物質は含まれていません。加えて防御力を高めるために厚く張られた戦艦の鋼鉄なら、その厚みが遮蔽材に最適です。

 サルベージされた「陸奥」の鉄は「むつ鉄」と呼ばれ、日本全国の大学や研究機関、医療機関などへ売却。内部被ばくを調べる「全身測定装置(ホールボディーカウンター)」や γ(ガンマ)線測定装置などの素材として使われました。福島第一原発事故後の復興作業でも、現地で採取した土や水の放射線量を測定するために、「むつ鉄」から作られた測定器が用いられています。

 戦艦としての本分は十分に果たせなかった「陸奥」でしたが、後の平和な世の中において大きな働きをしたといえるでしょう。

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