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実は切望されていた!? 30年前に起きた「戦闘機脱走事件」でもパイロットは “救国の英雄” なぜ?

乗りものニュース / 2024年12月19日 16時12分

クロアチア空軍のMiG-21戦闘機(画像:クロアチア国防省)。

とうとう、ヨーロッパ最後の現役MiG-21戦闘機が現役を退きました。最後まで同機を運用していたのは中欧クロアチア。同国にとってMiG-21は独立のきっかけのひとつとなったものでもあるようです。

敵方のミグ戦闘機が窮地を救った!?

 2024年12月1日、欧州で実任務に就くMiG-21戦闘機がついにゼロとなりました。旧ソ連(現ロシア)で1955年に初飛行し、1万機以上生産された超ベストセラー戦闘機をヨーロッパで最後まで使用していたのはクロアチアですが、同国がMiG-21を使い始めたのは独自の空軍を立ち上げるのとほぼ一緒で、しかもその始まりは衝撃の幕開けだったようです。

 クロアチアは1991年から1995年まで行われたクロアチア紛争に勝利することで、ユーゴスラビア連邦から独立しました。しかし当初は航空戦力、特に戦闘機の不足からかなり苦戦を強いられます。

 軍事衝突が始まる直前、連邦内で多数派であったセルビア人が中心となった政府当局は自国領内の全航空機をセルビアの支配下に置いたため、後手に回ったクロアチア側には満足な数の軍用機がありませんでした。

 そうした窮地を救うため、ユーゴスラビア連邦空軍内にいた複数のクロアチア系パイロットが、監視の目をかいくぐりMiG-21に乗りこみ、クロアチア勢力圏に降り立つことで、現在まで続くクロアチア空軍の礎を築き、同国の独立戦争を支える貴重な戦力となります。

 つまり自身の所属陣営をサポートするため、パイロットが兵器ごと脱走し、陣営を変えたというわけです。こうした展開は小説や映画、マンガやアニメなどといった創作物ではよく見る展開ですが、それを実行してしまったのが、クロアチア紛争におけるクロアチア系パイロットだったといえるでしょう。

 この脱走したパイロットのなかで最も有名なのがルドルフ・ペレシンです。彼は当時、ボスニア・ヘルツェゴビナ領内にあったビハチの空軍基地からMiG-21Rごと脱走し、1991年10月25日、オーストリアのクラーゲンフルト空港に着陸しました。このとき彼は、「私はクロアチア人です。(私が)クロアチア人を撃つことはできませんし、撃たないでしょう!」というメッセージを世界に訴えています。

 ペレシンの乗っていた機体はオーストリアに没収されてしまうものの、このペレシンの訴えに触発される形で、3人のパイロットがMiG-21と共にクロアチア領内の空港へ脱走することに成功し、クロアチアの航空戦力が強化されました。以降、不利な状況下で損害を負いながらも、強力なユーゴスラビア空軍相手に戦い続けます。それは、旧ユーゴ地域への兵器禁輸の目をかいくぐり、秘密裏に海外から購入した装備が充実するまで続きます。

 ペレシンはその後クロアチア空軍に加わり、1995年に同紛争で戦死してしまいます。しかし、前出の脱走時に使用した乗機は、28年後の2019年5月にオーストリアからクロアチアへ返還され、現在は博物館に展示されています。

 クロアチアではMiG-21と置き換える形で、フランスのダッソー製の戦闘機である「ラファール」が納入されています。ただ、まだ納入されたばかりで同機に慣れているパイロットが少ないことから、、クロアチアの昼間の防空に関しては、同じ北大西洋条約機構(NATO)加盟国のイタリアとハンガリーの機体が2025年末頃まで代行します。

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