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路線を延ばしたら妨害に!? 阪和線の「ミニ支線」はどこを目指したのか “痕跡”はある?

乗りものニュース / 2024年12月31日 15時12分

JR阪和線の支線「羽衣線」で使われる225系電車(画像:写真AC)。

天王寺~和歌山間を結ぶJR阪和線には、1.7kmの支線、通称「羽衣線」があります。阪和線の前身となる阪和電気鉄道の開業時から存在しますが、なぜ1駅だけの支線が作られたのでしょうか。

南海に対抗し開業

 天王寺~和歌山間を結ぶJR阪和線には、前身の阪和電気鉄道の開業時から存在する支線があります。鳳駅(大阪府堺市)から1駅だけ延びる通称「羽衣線」です。なぜ、このような短い路線が敷設されたのでしょうか。

 そもそも大阪と和歌山のあいだの鉄道は、1903(明治36)年に難波~和歌山市間を全通させた南海鉄道(現・南海電気鉄道)の独占状態でした。これに対し、京阪電気鉄道や大阪商船が阪和電気鉄道を設立し、1929(昭和4)年に阪和天王寺(現・天王寺)~和泉府中間と、その支線である鳳~阪和浜寺(現・東羽衣)間を開通させます。当初から全線電化され、本線は複線でした。

 支線の建設目的は当時、大阪近郊の人気行楽地であった浜寺海岸に鉄道を延ばし、行楽客を輸送することでした。海水浴シーズンには、阪和電気鉄道と南海鉄道が、それぞれ天王寺と難波から臨時列車を運行し、浜寺海岸へ熾烈な呼び込み合戦を展開。競争は過熱し、南海は踏切を意図的に長時間遮断して、行楽客を阪和浜寺に行きにくくする妨害まで行ったほどでした。

 阪和電気鉄道は大阪~和歌山間でも南海と熾烈な争いを繰り広げ、戦前において最高の表定速度を誇る超特急を運転するなどしましたが、1940(昭和15)年、南海に吸収合併され、南海山手線となります。翌年、支線の阪和浜寺駅は「山手羽衣」駅と改名。しかし3年後には山手線が国有化され、阪和線となりました。この時に支線も合わせて国有化され、山手羽衣駅は「東羽衣」駅に改名されたのです。

 東羽衣と命名されたのは、南海本線の羽衣駅の東にあるからで、現在では両駅が連絡通路「天女のこみち」で結ばれています。もはや、かつての関係は想像できません。

最近まで国鉄型103系が走っていた

 支線はわずか1駅ですが、1972(昭和47)年まで荷物扱いがあり、1973(昭和48)年には東羽衣駅が高架に変更。2016(平成28)年に4両編成対応化と、改良が重ねられています。現在は阪和線東羽衣支線と呼ばれており、旅客案内上は「羽衣線」とされています。

 羽衣線は鳳駅の5番線にある専用ホームから発着します。車両は長年、4扉ロングシート車の国鉄型103系電車でしたが、現在では3扉転換式クロスシート車の225系電車5000・5100番台が投入され、支線ながらハイグレードです。

 運転間隔は朝ラッシュ時が毎時5本、日中でも4本と多く、午前5時台から深夜0時台まで列車がある、利便性の高い路線です。

 筆者(安藤昌季:乗りものライター)が乗った19時18分発の列車番号「913H」は、225系4両編成でしたが、席はおおむね埋まっていました。出発すると、大きく右にカーブし、あとはほぼ直線です。終点の東羽衣駅まではわずか3分、あっという間に到着しました。

 東羽衣駅は1面1線ですが、かつては降車用ホームが分かれていて2面1線でした。南海本線とは直角に交わっており、羽衣駅もすぐ近く。ホームからは通過する南海電鉄の電車が見えました。

 2023年度の平均乗車人員は4702人/日で、エレベーターも備わるなど駅設備は立派です。駅舎は改築されており、建設理由となった浜寺海岸の海水浴場も今は存在しません。かつての栄華を偲べるものは見当たりませんでした。

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