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「売れるわけない」 ビッグなアメリカで小さな「スーパーカブ」がなぜ大ヒット? “世界のホンダ”はこうして誕生した

乗りものニュース / 2025年1月25日 18時12分

初代スーパーカブC100(50cc)。1958年(2024年、松田義人撮影)。

スーパーカブで日本を席捲したホンダが、海外へ初進出したのがアメリカです。何もかも大きいアメリカで、最も小さいモデルだったスーパーカブが大ヒットしたのはなぜでしょうか。日本の原付の発展は、その成功あってこそかもしれません。

「海外初進出地」としてアメリカを選んだホンダ その結果…

 高出力、好燃費、メンテナンスフリーという三方ヨシの超画期的モデルとして1958年に登場した「スーパーカブC100(50cc)」は、日本の原付市場を切りひらく存在にもなりました。日本国内では2025年をもってスーパーカブの50ccモデルが67年の歴史に幕を閉じることが決まり(110ccモデルは生産継続)、何かと世間を騒がせていますが、他方で50ccのスーパーカブは世界中でも親しまれたバイクでもあります。

 特にスーパーカブC100誕生から程なくして絶大な評価を受けたのがアメリカでした。

 ホンダはスーパーカブC100開発と並行して、海外進出を目指していましたが、世界の中でも当時のアメリカは、バイクの人気がなく年間6万台しか売れていませんでした。当時のヨーロッパが年間200万台もの大市場だったことを考えれば、アメリカの市場はごく限られたものでした。

 ただし、当時のホンダは「バイクの楽しさをアメリカ人はまだ知らないかもしれない」と考えながら、海外進出の一歩をアメリカから始めることにします。あえて難しいと思われるところから始めるのが当時のホンダの精神でもありました。

 果たしてホンダはスーパーカブC100発売の翌年の1959年に、現地法人としてアメリカ・ホンダ・モーターを設立します。

 想像通り当初は苦戦を強いられ、初年度の販売台数はたった170台。当時のアメリカのバイクユーザーは、大排気量のハーレー・ダビットソンやイギリスの輸入車などを好んだのに対し、ホンダがアメリカに輸出したのは305cc、250ccなどと125cc以下のミニバイクだけ。アメリカのバイクユーザーのほとんどは、まだ名もないホンダのバイクに見向きもしなかったそうです。

「アメリカでは売れるはずない」と思われたカブが大ヒットに

「305cc、250ccのバイクが売れないとなるとこれは大変。スーパーカブC100は日本では大ヒットしているが、アメリカでミニバイクが売れるわけがないし、アメリカでの市場開拓は想像以上の大苦戦を強いられるかもしれない」

……当時のアメリカ・ホンダ・モーターのスタッフはこんな風に落胆しますが、しかしホンダがアメリカに持ち込んだバイクのうち、1台だけ多くのアメリカ人が注目したバイクがありました。

 それが「ホンダ50」、スーパーカブC100とほぼ同じの輸出向けモデルでした。

 当時のアメリカ人にとっては、この小さなバイクが「トイバイク」のように映り、例えばキャンプ、狩猟、釣り、牧場などに行く際、ピックアップトラックやキャンピングカーにホンダ50(スーパーカブ)を載せていき各地での「軽い移動」の際に使われるようになっていきました。

 結果的に、ホンダ50(スーパーカブ)はアメリカ・ホンダ・モーター設立から3年後の1961年には月間1000台超え、さらに4年後の1963年には年間4万台の大ヒットに至り、アメリカで新しいバイクブームを巻き起こしました。

 あまりに売れたせいでアメリカ・ホンダ・モーター社長(日本人)自ら、トラックにホンダ50(スーパーカブ)を乗せて納車するほどだったとも言われています。

「バイクの面白さ」をアメリカ人に知らしめたカブ

 前後しますが、これだけのヒットをもたらしたことを受け、よりアメリカ人にウケるよう改善したモデル・ホンダスーパーカブ(CA-100)を1962年にリリース。ボディを真っ赤にし、ダブルシートを搭載しました。

 そして、従来のバイクショップだけでなく、釣具店やスポーツショップでも取り扱いが始まるようになった1963年以降はハンター仕様モデル、フィッシング仕様モデルなどもリリース。この試みは後のモンキー、ダックス、ハンターカブなどのレジャーバイクの開拓にも繋がっていきました。

 日本での50ccモデルのスーパーカブは、発売以来今日に至るまで「実用車」としての存在価値が大きかったですが、アメリカでは、後に日本でもブームを巻き起こすこととなる「レジャーバイク」的な存在として価値を見出していったというわけです。

 また、スーパーカブでアメリカ人にその名を知らしめたホンダは、1970年代以降、オン・オフ双方の様々なラインナップをアメリカで販売するようにもなり、今日に至っています。

 ひいては、それまで「ハーレーやトライアンフしか知らない」アメリカ人バイクユーザーだけでなくバイクに見向きもしなかった人たちをも、「50ccの小さなバイク」スーパーカブが「バイクの楽しさ」に気づかせたと言って良いでしょう。

 こんなアメリカにおけるスーパーカブの伝説を知ると、余計に2025年での50ccモデル生産終了が実に残念であり、同時にバイクの長い歴史において「50ccモデルのスーパーカブが姿を消す2025年は、時代の変わり目になる場面なのだ」とも実感します。また、アメリカ人のバイクユーザーにとって、この一時代の終わりをどんな風に感じるかもとても気になるところです。

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