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6月1日は気象記念日、日本初の天気予報とは?

ウェザーニュース / 2020年6月1日 5時0分

ウェザーニュース

6月1日は気象記念日です。1875(明治8)年6月1日に東京・赤坂葵町(現在のホテルオークラのあたり)に日本初の気象台の東京気象台(現在の気象庁)が設置されたことを記念して、1942(昭和17)年に気象記念日が制定されました。

気象観測が開始されたのは4日後の1875年6月5日から、天気予報が出されるようになったのは9年後の1884(明治17)年6月1日からでした。日本初の天気予報はどんな内容だったのでしょうか。

日本初の天気予報は当たった?

1884年6月1日午前6時に日本で最初の天気予報が出されました。

「全国一般風ノ向キハ定マリナシ。天気ハ変ワリ易シ。但シ雨天勝チ」

当時は“お雇い外国人”が天気予報を行っていたので原文は英語で、「Variable winds, changeable, some rain.」という簡潔なものでした。対象が全国なので検証しにくいのですが、西日本は快晴が多く、東日本では曇りが多く、日本海側の新潟や秋田では雨が続きました。外れてはいませんが、現在の予報精度からすると、あまり頼りにならない天気予報です。

天気予報はスタート時から1日3回発表されました。この日2回目の14時は「変リ易キ天気ニシテ風位定マラズ。且雨降ル地方モアルベシ」。

3回目の21時は「中部及ビ西部ハ晴或ハ好天気ナルベシ。北部ノ一部ハ天気定ラズ。一部ハ曇天又ハ烟霧ナルベシ」とざっくりした天気予報でした。

天気予報は東京市内の交番で掲示

天気予報はどのように伝達されたのでしょうか。日本初の天気予報は、東京市内の交番で掲示されるだけでしたから見られる人は限られていました。8時間先までの天気予報は新聞が読者の手元に届く頃は予報期間が過ぎていたので掲載されませんでした。

新聞に天気予報が掲載されるようになったのは1888(明治21)年4月でした。天気予報が24時間先まで延長されるようになり、天気予報が広く普及することになりました。

その後、1925(大正14)年にラジオ放送が開始されると、天気予報が全国津々浦々に伝わり、人々の生活に密着するようになりました。

1955(昭和30)年に日本電信電話公社(現在のNTT)が局番なしの「177」で天気予報サービスを開始します。テレビ放送の開始が1953(昭和28)年ですからテレビはそれほど普及していませんでした。

今や天気予報はテレビやパソコン、スマホで手軽に見ることができ、5分ごと、1時間ごとの予報など精度も格段に向上して、私たちの生活に欠かせない情報になっているのです。

参考資料など

『気象百年史』(気象庁)

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