【平成サッカー30年の軌跡】 平成13年/2001年 日韓W杯に向けて、準備万端!

超ワールドサッカー / 2019年4月13日 19時0分

写真:Getty Images

新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。

世の中の流れ


2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ。無差別テロに世界中が震撼した。

■“新たな脅威”に世界中が震撼
 平成13年(2001年)と言えば、まず頭に浮かぶのはアメリカで起こった「9.11テロ」ではないでしょうか。ニューヨークにあった世界貿易センタービルにハイジャックされた旅客機が衝突する映像(2機目の衝突)は、当時生中継されており、世界中が震撼しました。

イスラム過激派テロ組織、アルカイダによる一連のテロ攻撃は、国際テロ組織の脅威を世界中に知らしめました。この事件をきっかけに、同年正式にアメリカ大統領に就任していたブッシュ大統領は「対テロ戦争」を掲げ、中東への軍事介入へ踏み切りました。この決断は、その後十数年に渡って世界中で様々な影響を及ぼしました。

一方日本でも、森喜朗首相の辞任を受けて、小泉純一郎内閣が発足。「自民党をぶっ壊す」「改革なくして成長なし」など様々なスローガンを掲げ、日本経済の復興を目指した構造改革を進めていきました。

その他には、アメリカのAppleが携帯型デジタル音楽プレーヤー「iPod」を発売したのもこの平成13年です。コンパクトながらも当時としては大型の容量を持った機能性と、大きなディスプレイと、その下に着いたホイールのみで全ての操作が行えるというシンプルなデザインが好評を受け、世界中でヒットしました。このiPodは進化を重ね、iPhoneとなり、現在のスマートフォン市場の火付け役になりました。

また、ユニバーサルスタジオジャパン(USJ)が大阪にオープンしたのもこの年であり、オープン初年度には1,102万9000人の来場者を記録。テーマパークとしては、当時世界で最も早く1,000万人を達成しました。





サッカー界

2001年、コンフェデレーションズカップで準優勝と躍進を見せた日本。世界を驚かせた。

■新監督の下で動き出した日本代表
■日韓W杯に向け、躍進する日本
 自国でのW杯共同開催を翌年に控えた日本は、この年、W杯のプレ大会であるFIFAコンフェデレーションズカップを、韓国と共同で主催します(正式にW杯のプレ大会という定義付けがされたのは2005年のドイツW杯から)。

大会には、開催国である日本と韓国に加え、南米王者ブラジル、欧州王者フランスなど、各大陸のサッカー連盟王者が参加しました。そんな中でも日本は、北中米カリブ海王者カナダとアフリカ王者カメルーン相手にそれぞれ3-0、2-0で2連勝すると、南米王者ブラジルには0-0で引き分けるなど、世界を驚かせます。

その結果、ブラジルと同じ組に入りながら、グループリーグを首位で突破。決勝トーナメントでもオセアニア王者のオーストラリアを破り決勝に進出します。決勝ではフランスに惜しくも敗れますが、日本がFIFA主催のA代表の大会で決勝進出を果たしたのは男女を通じて初の快挙でした。

しかし、この大会は欧州リーグ戦と日程が重なっていたこともあり、各国で招集選手にバラつきがあり、特に優勝したフランスはジネディーヌ・ジダンやファビアン・バルテズを欠くなど、必ずしもフルメンバーではない大会でした。また日本代表においても、エースだった中田英寿が、所属チームであるASローマに合流するために、決勝戦を前に代表チームを離脱した為、トルシエ監督との間に軋轢を生む結果となってしまいました。

とは言え、日本代表と世界との差が確実に縮まってきていること、そして自分たちスタイルが通用することを肌で感じることが出来たこの大会は、翌年にW杯控えたチームにとって大きな自信となりました。


翌年に控えた日韓W杯に向けて着々と準備が進んでいた。W杯スタジアムも日本全国で建設された。

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