【平成サッカー30年の軌跡】 平成21年/2009年 課題を抱えつつも4度目の世界へ

超ワールドサッカー / 2019年4月21日 19時0分

写真:Getty Images

新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。

世の中の流れ


2009年、日本で政権交代が実現。鳩山由紀夫内閣が発足した。

■政権交代に揺れた1年
平成21年(2009年)、日本では大きな変革が起こりました。衆院選で野党第一党の民主党が圧勝し、自由民主党からの政権交代が起こります。「友愛政治」を掲げた鳩山由紀夫内閣は、様々な改革を行おうと公言しましたが、その代表的なものが、国家予算の見直しとして実施された事業仕分けです。担当大臣となった蓮舫議員の「2位じゃダメなんですか」発言が話題になるなど、後に多くの批判を呼びましたが、急速に進む改革に当時の国民は大いに期待しました。

スポーツ界では、野球の世界一を決めるWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の第二回大会が行われ、日本が第一回大会に続き、連覇を達成しました。決勝でのライバル・韓国戦ではイチローが決勝打を放つなど、多くの名場面を生みました。また、アメリカのメジャーリーグ、ニューヨーク・ヤンキースに所属する松井秀喜選手が、ワールドシリーズで大活躍しチームのシーズン優勝に貢献。日本人初のワールドシリーズMVPに輝いたのもこの年の出来事です。

また、NHK大河ドラマ「天地人」で主人公・直江兼続の幼少期を演じた事がきっかけで子役の加藤清史郎くんがブレイク。同時期に、トヨタ自動車のCMにも「こども店長」として出演し、大ブームになりました。

その他には、「キング・オブ・ポップ」と呼ばれたマイケル・ジャクソンさんが急死したことは、世界中で驚きと悲しみを持って報じられました。また、彼の死を受けて、同年に行われる予定だったワールドツアーのリハーサル映像を基に作成されたドキュメンタリー映画『THIS IS IT』が公開。世界中で大ヒットを記録しました。



サッカー界

2009年、日本代表は4大会連続4回目のW杯本大会出場を決めた。

■再び世界へ
2009年、翌年に控えた南アフリカ・ワールドカップのアジア最終予選が行われます。日本は、2005年からアジアサッカー連盟(AFC)に加盟していたオーストラリアと同じ予選グループ入りました。

ドイツ・ワールドカップでの雪辱に期待がかかりましたが、2度の対戦では1分1敗と雪辱を果たせず。それでもオーストラリアに続くグループ2位を死守し、4大会連続4度目のワールドカップ出場を決めました。また、岡田JAPANはアジア予選からカタールやウズベキスタンといった“格下”と言われるチーム相手に勝ちきれずに勝ち点をこぼす事も多く、長年の課題である決定力不足を解決することができていませんでした。

■Jリーグではマイルストーンを達成
この年、Jリーグでは、ある記録が誕生します。それは、リーグの公式戦の通算入場者数1億人突破です。開幕から16年目のシーズンとなったJリーグは2009年に、この記録を迎えました。「オリジナル10」の中から消滅するクラブが出る等、決して全クラブが順風満帆なクラブ運営を出来ていた訳ではありませんでしたが、地域に根差した、地元に愛されるクラブという理念が着実に培われてきたからこそ達成された大きなマイルストーンとなりました。

また、この年には鹿島アントラーズがJ1リーグを優勝。これにより、鹿島アントラーズはJリーグ発足以来、史上初のリーグ3連覇を達成します。この前人未踏の記録は鹿島の常勝軍団としての地位をより強固なものにしました。

この他、1999年から発足した、J2の参加チームが18チームまで増え、J1の参加チーム数と並びました。このことを受けて、2004年に開始されていたJ1・J2入れ替え戦が廃止され、自動入れ替えのシステムをとっていました。ちなみにこのJ1・J2入れ替え戦ですが、2018年シーズンより10年ぶりに復活し、多くの注目を集めました。また、Jリーグの控えメンバーによって構成されていたJサテライトリーグもこの年に廃止されています。

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