【平成サッカー30年の軌跡】平成24年/2012年 巻き起こったロンドン旋風!

超ワールドサッカー / 2019年4月24日 19時0分

写真:Getty Images

新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。

世の中の流れ


2012年に竣工した東京スカイツリー。東京の新名所となった。

■オリンピックとスカイツリー竣工
平成24年(2012年)、日本では明るい話題で1年がスタートしました。2月、今や東京の有名観光地の1つになっている東京スカイツリーが竣工しています。634mの高さを誇り、自立式鉄塔としては世界一、人口建造物ではドバイのブルジュ・ハリーファ(828m)に次ぐ世界で2番目に高いタワーとなっています。

8月に行われたロンドン・オリンピックでは、金メダル7個を含む史上最多38個のメダルを獲得し、大いに日本を盛り上げました。日本選手団の金メダリストの中には、大会3連覇となった「霊長類最強女子」こと吉田沙保里選手、2連覇となった体操男子の内村航平選手、そして大会後にプロ転向を発表し、話題になった村田諒太選手などが名を連ねました。また、女子バレーボールも銅メダルを獲得し、28年ぶりにメダル獲得を成し遂げました。

また、12月に行われた衆議院選挙では政権交代が起こっています。2009年以来民主党が与党となっていましたが、マニュフェストの不実行や迷走が続いた結果、信用を大きく落とし、わずか3年での政権交代となってしまいました。この結果自民党が与党に返り咲き、自民党総帥の安倍晋三氏が首相に。それから7年が経過した現在も首相を務める長期政権になっています。

その他、前年の2011年に北朝鮮の最高権力者・金正日氏が死去した事を受けて、後継者に指名されていた金正恩氏がこの年に朝鮮労働党第1書記に就任しています。



サッカー界

ロンドン・オリンピック2012でU-23日本代表が4位入賞の大健闘。次世代の主役たちが世界の舞台で躍動した。

■ロンドン五輪でヤング侍が躍動!
ロンドン・オリンピックでの日本選手団の活躍に国中が盛り上がりを見せていた頃、U-23サッカー日本代表もオリンピックで躍動します。

日本代表は予選グループDにスペイン、モロッコ、ホンジュラスとともに入ります。日本の初戦の相手となったスペインは、Aチームが同年にユーロ2012で連覇を達成。2010年の南アフリカ・ワールドカップ、2008年のユーロを合わせて国際大会3連覇中であり、U-23代表チームもダビド・デ・ヘア(現マンチェスター・ユナイテッド)、フアン・マタ(現マンチェスター・ユナイテッド)、イスコ(現レアル・マドリー)、ハビ・マルティネス(現バイエルン)らを擁するなど、そうそうたる顔ぶれであり、オリンピックでも優勝候補の1つと言われていました。

しかし、試合が始まると互角以上の試合を日本が展開します。そして前半34分、コーナーキックから大津祐樹(現横浜F・マリノス)が合わせて日本が先制。スペインはその後退場者を出し、日本が終始試合を優勢に進め、そのまま1-0で勝利します。

その後の予選では、モロッコに永井謙佑(現FC東京)のゴールで勝利。ホンジュラスには0-0で引き分けますが、予選を首位で通過し、ベスト8に輝いた2000年のシドニー・オリンピック以来初の決勝トーナメント進出を決めます。

準々決勝ではエジプト相手に3-0で完勝し、準決勝に進出。1964年のメキシコ大会ぶりのメダル獲得の機運が大いに高まりますが、準決勝の相手は北米の強豪・メキシコでした。前半12分、大津祐樹のゴールで日本が先制します。勝てば銀メダル以上が確定となる為、期待が大きく膨らみますが、そこからメキシコに3点を返され、1-3での準決勝敗退となってしまいました。

銅メダルをかけて韓国との3位決定戦に臨んだ日本でしたが、結果は2-0と惨敗。しかし、1964年以来最もメダルに近づいた大会となっており、これは胸を張って良い結果だと言えるでしょう。

また、この時の主力となったオーバーエイジ枠の吉田麻也(現サウサンプトン)や酒井宏樹(現マルセイユ)、そして清武弘嗣(現セレッソ大阪)らはその後のA代表でも大きく活躍しました。

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