Jリーグ創設に尽力した森健兒氏が逝去…旧知の川淵三郎キャプテン、Jリーグ野々村芳和チェアマンが哀悼の意
超ワールドサッカー / 2022年8月26日 10時57分
24日、Jリーグの初代専務理事を務め、日本サッカーのプロ化に尽力した森健兒氏が他界した。85歳だった。
森氏は、広島県出身で、広島修道高校から慶應義塾大学へと進学。その後、三菱重工業(後の浦和レッズ)に入るも、サッカー部に籍を置きながらサッカーはしていなかった。
しかし、日本サッカーリーグ(JSL)創設時にメンバーに。その後、天皇杯やJSLで優勝を果たしていた。
引退後の1991年にJリーグ専務理事に就任し、初代チェアマンの川淵三郎氏を支える存在としてJリーグ発足に携わった他、「Jヴィレッジ」設立に携わるなど日本サッカー界に大きな貢献をしていた。
旧知の川淵キャプテンは日本サッカー協会(JFA)を通じて、哀悼の意を表している。
「突然の訃報に接し、驚きを禁じえない。実務に関する能力が非常に高く、Jリーグ立ち上げのときには定款や規約づくり、Jリーグ関連会社の創設などに力を尽くしてもらった」
「Jリーグ立ち上げの功労者と言っていい。Jヴィレッジの設立の際にも三菱養和会を造った経験を生かし、東京電力と密接な連携を取って、日本サッカー初となる素晴らしいナショナルトレーニングセンターの建設に尽力した」
「彼の功績があってサッカーの基礎が築かれたといっても過言ではない。心から感謝と哀悼の意を表します」
また、Jリーグの野々村芳和チェアマンもリーグを通じて哀悼の意を表した。
「Jリーグの創設にご尽力いただいた偉大な先輩の訃報に大変驚いております。森さんは、大学卒業後、三菱重工サッカー部の練習環境等の改善に奔走され、Jリーグが発足する20年近く前からJリーグが目指す地域に密着した総合スポーツクラブの発足に尽力されました」
「JSLの総務主事に就任されてからは、プロ契約の原型となる「スペシャルライセンスプレーヤー」制度を創設し、選手のプロ化を押し進め、1988年には第一次活性化委員会を設置し、日本サッカー過渡期におけるプロリーグへの道筋をつけていただきました」
「Jリーグ設立後も、スタジアム環境の整備をはじめ様々なJリーグの礎を築いていただいたことは感謝の念に堪えません」
「森さんが掲げてこられた「日本サッカーのために」という志を受け継ぎ、Jリーグの理念実現と日本サッカーのさらなる発展のために尽くしてまいりたいと思います。心よりお悔やみ申し上げます」
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