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16年ぶりJ1昇格の東京Vで現役引退の奈良輪雄太、「本当に幸せなサッカー人生だった…」

超ワールドサッカー / 2023年12月11日 20時23分

写真:©超ワールドサッカー

今シーズン限りで現役引退となった東京ヴェルディのMF奈良輪雄太(36)が、スパイクを脱ぐ決断に至った経緯、自身最後のクラブとなった東京Vへの想いを語った。

奈良輪は横浜F・マリノスの下部組織出身で、筑波大学からJFLのSAGAWA SHIGA FCへ加入。3シーズンを過ごすと、2013年に古巣の横浜FMに完全移籍で加入した。横浜FMでも3シーズンを過ごすと、2016年には湘南ベルマーレに完全移籍。2018年には期限付き移籍で、2019年からは完全移籍し、東京Vでプレー。

ウイングバックやサイドバックなどサイドのスペシャリストとして活躍。近年は度重なる負傷に悩まされ、今季はレギュラーシーズンの出場は17試合にとどまったが、勝負所を見極めた安定した守備と献身性によって昇格プレーオフ準決勝の千葉戦を含め終盤のクローザー役としてさすがの仕事を見せ、16年ぶりのJ1昇格に貢献した。

昇格決定後の7日にクラブから現役引退が発表された奈良輪は、9日に千人以上のサポーターを集めたファン感謝イベント『VERDY FAMILY FES.2023 inヴェルディグラウンド』で、プロサッカー選手として最後の仕事を終えた。

同イベント後に囲み取材に応じた奈良輪は、改めて今回の決断の経緯を明かした。

「(契約満了を告げられた時は)リアルに3秒ぐらいはショックで、2秒で自分の心を整えて、5秒後には引退しますと伝えました。もちろん覚悟をしてやってきた1年で、その準備はしていましたが、びっくりした気持ちもありました」

「1週間ぐらい経っていろんな方からメッセージをもらって、いかにこの職業が幸せな職業だったのかを日々感じています」

「ここ最後の1、2、3年は毎年そういった覚悟を持ってやってきましたし、もちろん今年もそのつもりでやっていました。最後にこういう形で終われたことは僕にとっても美しい引き際になったと思いますし、そこは良かったです」

東京V加入は前所属先の湘南でJ2優勝と共にJ1昇格を決めたタイミングでもあり、16年ぶりの昇格を決めたクラブと共にJ1でプレーしたい気持ちは強かったと語る奈良輪。また、若いスカッドにおいて日々の生活、トレーニングで示す徹底的なプロフェッショナリズムは、チームのロールモデルとして貴重な存在だっただけに、久々のJ1の舞台で厳しい戦いが予想されるなか、その不在を惜しむ声も少なくない。

それでも、「クラブは選手がピッチで活躍してくれるからお金を払ってくれるもの」と今回のクラブの決断を尊重している。

「間違いなく(J1の舞台に)立ちたかったです。湘南からここに移籍してくるときは、湘南がJ2を優勝してJ1に上がったタイミングだったので、J1でプレーする機会を蹴ってまでここに来たので…。ただ、自分がいつも思っているのは入りよりも出口が大事だと思っていて、数年後にJ1で自分がプレーしている可能性が高いのは湘南に残るのと、ヴェルディのどっちかと考えたときにヴェルディと判断しました。その判断が正しかったか、正しくなかったかは分からないですが、その判断を正解にするためにずっとここまでプレーしてきました」

「(その目標は達成できたか?)完全にやり切りました。やり切ったからこそ、すぐに引退を決断することができました。ここに来た1年目のロティーナさんの時に入れ替え戦まで行ってギリギリ上がれなかったのが、自分のなかでは痛かったというか、J1でプレーするしないという部分で大きな影響がありました。そこから3、4年間は監督もころころ変わってどっちつかずの感じだったので、年齢を重ねるごとにJ1でプレーするのは正直厳しいと心の片隅では思っていました。それでも最後にこうやってJ1に上がれたのは、本当に良かったと思います」

「自分自身にとって契約があるに越したことはないですが、それを客観的に見たときに、クラブ側は選手がピッチで活躍してくれるからお金を払ってくれるものであって、それ以外のところは難しい部分ではありますが、基本的に活躍するかしないかでお金を払うものなので、J1に上がったからとか、J2のままだったからという部分はあまり個人的に関係なく、決断したクラブを最大限尊重したいと思っています」

昨年末の契約更新時に「今後別のクラブでプレーする気持ちはない」と明言していたなか、その言葉通りにヴェルディでの引退を決めたベテランMF。

在籍6シーズン、公式戦145試合といずれもキャリア最多となった同クラブでは今回のJ1昇格で有終の美を飾る形となったが、それまでの期間にはピッチ内での低迷だけでなくクラブの経営危機など困難な日々もあった。それでも、良いところも悪いところも見てきたことで、今ではかつての憧れのクラブをより身近なクラブに感じている。

「やっぱりプロ生活のなかで一番長い時間を過ごさせてもらいましたし、プロ生活のなかで一番出場させてもらったのはこのクラブです。良いところも悪いところもたくさん見てきましたが、だからこそ身近に感じるクラブです。今まではずっと小学校とかサッカーを始めたときは憧れのクラブでしたが、ここに実際入ってきて良くも悪くもいろんな側面を見てきました。素直にこのクラブに来て、長く在籍してここで引退できたことを良かったと思います」

「コロナでこういう交流はなかなかなかったですし、本当にこのクラブに来てからこれだけ多くの人を前にイベントをやったのは初めてだったので、多くの方に声をかけてもらいました。プロのサッカー選手としてこちら側からサポーターの人たちに対してプレーや感謝の気持ちを示すことが役割だと思っていましたが、今日は逆に多くの方々から自分に対して感謝の言葉をもらったので、本当に幸せなサッカー人生だったと、この時間を通して実感できました」

さらに、これまでの在籍期間を通じて、日々のトレーニングから常にストイックな姿勢を背中で伝えてきた奈良輪は、厳しくも心こもった言葉で今後のヴェルディを牽引していく後輩たちへエールを送った。

「(後輩に多くのものを伝えられた自負は?)正直、あまりその実感はなかったです。ただ、(ファン感の)最後に城福さんがサポーターの皆さんの前で言ってくれた例であったり、直接周りの選手からそういうことを言われることはなかったですが、そういったことを間接的に聞くことは多いので、やっぱり口で言うのは簡単で、プロの選手は結果や行動で示さないといけないと思っているので、それが自分のやってきたことが少しこのクラブに還元できたのかなとは思います」

「(今後後輩に繋いでいってほしいこと)正直サッカーの内容とかに関してはどうでもよくて、サッカーに正解はないと思うので。最後に城福さんが言っていたように何かひとつのことを信じ抜く精神力というか、ここにいて6年間でどっちつかずのことがサッカーに限らず、このクラブは多かったです。それをこの1年半で城福さんによってかなり正された部分もあったと思うので、このやり方というかマインドをずっと持続していってほしいと思います」

「このクラブは育成の選手で成り立ってきたクラブなので、外にいたときと同じように上手な子は多かったです。ただ、ユースからトップに練習参加してくる子たちを見ていて、いまいち特徴がなかったり、覇気を感じないとかそういうことを感じていました。それがトップに上がってきてから、(森田)晃樹や主力に成長していく選手はどんどん成長していきますが、育成のところを今後も大事にしていかないと、またずっとJ1で戦っていけるかは怪しいところなので、そこはクラブとして良い危機感を持って取り組んでいってほしいです」

個人の部分では長年にわたってストイックな現役生活を献身的にサポートしてくれた家族への感謝を語る。とりわけ、「子供が記憶に残るまでサッカーをしたい」との自身の目標を達成できたことに満足感を示す。

「本当に切り詰めた生活をしていて9割ぐらいは自分軸で生活してきたので、家族には常に自分に合わせてもらうことが多かったです。本当にそれを嫌な顔をせずに自分に付いてきてもらって感謝しかないです。これからは少しでも家族との時間を増やしたり、少しずつこれまでの感謝の気持ちを示すための時間に充てたいと思います」

「結婚して子供が生まれたタイミングで、子供が記憶に残るまでサッカーをしたいというのがひとつの目標でした。僕の子供は今小学生なので、その記憶に刻まれたと思うので、最低限親としての役割を果たせたのかなと思います」

これまで周囲に左右されることなく自らにフォーカスし続けてきた印象もある奈良輪だが、「唯一無二」と語る、横浜FM時代の先輩である元日本代表MF中村俊輔氏は自身のキャリアにおいて大きな影響を与えた存在だった。

とりわけ、数年前に引退を考えた時期に受けた助言が自身にとって貴重なものになっていたという。

「唯一無二の存在が中村選手です。自分がプロサッカー選手になるという夢から目標に切り替わったときに、一番近くにいて一番遠くにいた存在がシュンさんだったので、実際にずっとテレビやスタンドでずっと応援してきた憧れの存在とマリノスという、僕のプロ生活の初めの1年目に一緒にプレーできて本当に毎日がすごい発見というか、刺激的な日々でした。僕にとって本当に唯一無二の存在です」

「数年前に引退を考えた時期もありました。その時期にもう一度プレーしようというきっかけを作ってくれた最大の一人でもあるので、シュンさんがこのサッカー界をどんどん良い方向に変えていってくれることを期待しています」

「家も近くに住んでいて、そんなに普段から交流があるわけではないですが、自分から『ちょっと時間を作ってもらえないですか』ということで一度食事に連れて行ってもらいました。僕としてはアドバイスがほしかったんですが、言われたことは『お前のなかで答えが決まっているのであれば、それがすべてだから思うように進め』ということでした」

「それは自分が導くものではないとも言われて、その時期はいろんな人に相談や話をしましたが、だいたい9割ぐらいは『もったいない』、『まだまだやれる』とかそういう言葉をかけてもらいました。ただ、シュンさんだけでなく僕の信頼している仲間。そういった1割ぐらいの人は『辞めちゃえば』って感じのことを言われました。その言葉が逆に自分の中にストンと入って、よく分からなかったですが、もう一度やろうという考えになりました」

「(今回の引退の報告は?)電話しました。そしたらいろんな人に連絡しないといけないと思うし、自分が引退するときに話が長かった人はめんどくさいと思ったから、もう電話を切るわって言われました(笑)」

最後に、気になる現役引退後のセカンドキャリアに関しては、「すべてをフラットに考えたい」とサッカー界での仕事、サッカー以外の仕事の両方の可能性を含めて、じっくりと考えたいとしている。

「サッカーとサッカー以外の仕事の半々です。そこはフラットに考えていきたいです。サッカー選手になる前からサッカー選手の後の人生の方が長いと分かっていましたし、だからこそ大学に進学しましたし、筑波という大学を選びました。サッカーがすべての人生にならず、他の選択肢も持てるような道を歩んできたつもりなので、本当にすべてをフラットに考える時間を持ちたいと思います」

「この1週間はお金の勉強をしています。いろんな人からの連絡に答えている以外は、ブックカフェなどでお金の勉強に費やしています。確定申告も今までは税理士の方にお願いをしていて完全に把握し切れていない。サッカー選手はサッカーには長けていますが、それ以外のことは何もできないので。それが怖くて大学にも行った自分でさえもそんな感じなので、ちゃんと世の中のことを知って勉強しないといけないと考えてそういう時間にあてています。クラブ側からはどういうことをやりたいかを言ってくれれば、それに対しての準備はあると言われています。ただ、この状態では何も言えないということも伝えています」

JFL時代を含め14シーズンの現役キャリアでは常にスポットライトを浴びる存在ではなかったが、「当たり前のことを当たり前にやる」という自身の信条の下、ピッチ内外で常にプロフェッショナルを貫きチームのために寡黙に走り、戦い続けた“アンサングヒーロー”の誇り高きキャリアに心から敬意を示したい。

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