坂口杏里の自殺未遂、借金も「自業自得で片付けられない」 ありのまま放送した『ザ・ノンフィクション』

wezzy / 2019年7月3日 18時45分

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 6月30日放送の『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)は「ワケあって…坂口杏里」と題し、元タレントの坂口杏里さんの密着取材映像を放送した。一年にわたり彼女を追った映像の中には、ストリップ出演決定から降板までの経緯や、自殺未遂についてなどもあり、話題を呼んでいる。それは彼女を悲劇のヒロインにするでも、どん底から這い上がる美談にするでもなく、ありのままの姿を映していた。

 女優の故・坂口良子さんの長女として1991年に生まれた杏里さん。2008年に17歳で芸能界デビューすると、「おばかキャラ」「二世タレント」としてバラエティ番組を中心に活動していたが、紆余曲折を経て2017年9月に芸能界引退を表明。しかし、現在の杏里さんは再び芸能界復帰を望んでいるようだ。

ホストクラブにのめり込み1300万円以上の借金を抱える

 坂口杏里さんの両親は1994年に離婚。母親で大女優だった坂口良子さんは元夫の借金返済もあって多忙だったため、杏里さんの幼少期は兄と二人で過ごすことが多かったという。

 しかし2008年に杏里さんが芸能界デビューを果たしてからは<そんな時間を取り戻すかのように>一緒にいた。母親は「自分を踏み台にして売れていってほしい」と杏里さんに伝え、バラエティ番組で共演するなど、杏里さんを必死に売り込んだ。

 ところが2013年、良子さんはがんで死去。最愛の母を亡くした杏里さんは自棄になり、夜遊びをするようになる。

 ホストにハマり、良子さんの遺産は使い尽くし、さらに借金を重ねた。借金返済のため、2016年に「ANRI」名義でAV女優デビューしたが、AVの出演料はまたホストに貢いだという。2017年4月には、ホストへの恐喝未遂で逮捕。不起訴となり釈放された杏里さんを、大勢のマスコミが追いかけてきたという。

 2017年9月に芸能界引退を表明した杏里さんは、キャバクラやストリップなど<もう夜の世界にすがるしか>なかった。普通のバーでバイトしているだけでは「お金にならない」と杏里さん。2018年6月時点、当時27歳の杏里さんが抱える借金は1300万円以上だったからだ。

 ナレーションも務める福田真奈ディレクターは、坂口さんの状況を「自業自得」という言葉では片付けられなかったという。

浅草ロック座のストリップデビューは頓挫

 福田ディレクターが初めて坂口杏里さんと出会ったのは、昨年6月。ちょうど、彼女がストリップ劇場・浅草ロック座でストリップデビューするとして、話題になっていた頃だ。

 かつては芸能事務所に所属し地上波テレビにも出演していた杏里さんだが、現在はマネージャーもいない。ストリップという、芸能界とはまた異なる業界からオファーを受けたものの、杏里さんは不安そうな様子だった。

 衣装のサイズが合わないというアクシデントもあった。スタッフの言葉が頭に入らず、直前リハーサルではセンターで踊る際に振り付けを忘れる。浅草ロック座の名物「早着替え」では、スタッフに「ここまでかかるの時間?」と言われ、杏里さんが「ねえ無理無理、そんな私、だってプロじゃないもん」「早く出てるつもりだし」「時間かかるってこれが普通だけど」と苛立つ場面も。

 杏里さんのストリップデビューは頓挫した。マスメディアは杏里さんがドタキャンしたと報じていたが、杏里さんは「降板なんて、下りるなんて私一言もいっていないし。すべて私のせいみたいな。何も信用できない」と福田ディレクターに心境を吐露。インスタグラムでも「ドタキャンされたのはこっち」と反論していた。

自殺未遂からの芸能界復帰を熱望

 ストリップ降板後、坂口杏里さんへの世間の風当たりはさらに強くなり、夜の仕事では、杏里さんの単価が高いからか、なかなか集客に結びつかないようだ。10時間ほど待ったこともあり、気が狂いそうだったという。

 その後、福田ディレクターは杏里さんとほとんど連絡が取れなくなる。杏里さんの近況を知ったのは2018年8月31日のネット記事で、杏里さんが神戸に出稼ぎに行っていたと報じるものだった。

 9月に入ると、杏里さんから「自殺を図った」という連絡が来た。ドライヤーのコードで自ら首をきつく締めたという。杏里さんが書いたという遺書には「私は強い人間じゃないのでこのようなことしかできませんでした」とあった。

 この自殺未遂騒動を機に杏里さんと福田ディレクターの距離が縮まり、1カ月後の10月4日、杏里さんから突然の呼び出しが。下北沢のライブハウスでトークイベントに出演した杏里さんは、“芸能界復帰”を強く意識している様子だった。

 トークイベントで「今はフリーターです。バイトを探そうかなと」と語る一方で、「最終地点がまた芸能界復帰」であり、「YouTubeで自分の(過去のテレビ出演時の)映像見た時に『この時輝いていた』とか、自分が主演になった映画を見て『この時すごい大変だったけどすごい頑張った』とか」と、芸能活動していた頃の自分に思いを馳せる杏里さん。「頑張れよ」と声を掛けてくれる客もいた。

 とはいえ、彼女に頼れる人はいないようだ。借金は残っており、辞めたいという思いがありつつも夜の仕事は続けていた。

 一方で芸能活動も前進させようとしている。年が明けて2019年、杏里さんは音楽活動を発表。バンドメンバーをオーディションで募集し、「杏里爆発」というバンド名をつけた。まだオリジナル曲はなく、ライブでは中島美嘉の『GLAMOROUS SKY』といったカバー曲を披露している。

「人生、何度でもやり直せます」

 救いの手を差し伸べてくれる人もいた。亡き母・坂口良子さんの往年のファンだったという映画監督の杉作J太郎氏が、坂口良子さんとの思い出について語るトークイベントの共演を持ち掛けたのだ。当日は満席だった。

 2019年3月27日、坂口良子さんの6度目の命日。お墓を訪れた杏里さんは、いつまでも最愛の母への言葉をかけ続けていた。

「この6年本当に色々あったけど、ママがね、喜ぶ姿を見せれたらいいなって思っているし、それは今年だけじゃなくてこれから先ずっとね、一生懸命這いつくばって頑張っていきたいって思っているから。それを見ててください」

「やっぱりふとした時に、ああ、ママのところに行きたいなとか、思うんだよね。でも、私は私で、これからママがやり残したこともやっていくし」

「ここにいると離れたくなくなるんだよね」

 <今の彼女を見て「迷走している」という人は多い>が、<それでも生きることすら投げ出した時期を乗り越えて、迷いながらも走る姿を応援したい>というのが、1年間にわたり杏里さんに密着した福田ディレクターの気持ちだという。

 番組放送後、杏里さんは自身のインスタグラムを更新し、以下のように綴っている。

<人生、何度でもやり直せます。遅いことなんてありません>

<みなさん、もう一度言います、人生何度でもやり直せます>

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