BTSはなぜ日本語でも歌うのか? K-POPアイドルが「日本語バージョン」を出す理由

wezzy / 2020年7月28日 7時0分

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 7月15日にBTSの2年半ぶり、通算4枚目のアルバム『MAP OF THE SOUL:7~THE JOURNEY~』がリリースされた。

 BTSが韓国でリリースするアルバムではタイトル曲は主にダンスパフォーマンスを主体とするアップテンポな楽曲が多い印象だが、日本でのアルバムのタイトル曲となるオリジナル曲はバラードだったり、ミドルテンポでメロディアスな、ラップよりはボーカルが主体の楽曲が多い。

 今回のBTSのアルバムに収録された「Lights」もミドルテンポのメロディアスな曲で「Your Eyes Tell」はバラード、「Stay Gold」はゴスペル調で、やはりボーカルパフォーマンスが主体の楽曲だ。韓国のタイトル曲でも「春の日(Spring Day)」のようなミドルテンポでメロディが主体の楽曲もないわけではないが、「日本語の楽曲」をリリースする際には韓国語の楽曲とは明確な差異をつける事を意識していると考えられるだろう。

 J-POPとK-POPの両方で多くの楽曲提供に参加しているアンドレアス・オバーグ氏は以前、韓国でのインタビュー(http://idology.kr/7772)でJ-POPとK-POPの違いについて訊かれた時、「フレージングの差が決定的だ。K-POPの場合は若干もっとリズミカルな音楽、より多くの16分音符が使われてシンコペーションが強く感じられる、つまり『ファンキーな』音楽がより好まれる傾向がある。(略)J-POPを聞いてみると、彼らはより平易で直線的なフレージングを好むことがわかる。ほとんどの伝統的なボーイバンドやアイドルの音楽がすべてそうだ」と話していた。「韓国語と日本語の違いがそのような音楽の違いや好みをつくっていると思うか?」という問いには「もちろんだ。韓国語の発音はシンコペーションが強い音楽、ファンクやヒップホップなどのブラックミュージックが更に自然に合うと思う」と答えている。

 ほとんどの音節が母音で終わる開音節である日本語と、日本語より多くの母音とパッチムを持ち、開音節と子音で終わる閉音節の両方を使う韓国語の違いを意識した結果、よりJ-POP的でメロディアスなボーカル主体の楽曲をあえて好んで制作しているとも考えられる。

 次に、アルバムの半分以上を占める「日本語バージョン」だが、韓国での活動曲である「IDOL」「Boy With Love」「Fake Love」「ON」以外の楽曲(「Airplane Pt.2」「Black Swan」「Make It Right」)の選択に関しては、先述のように「より日本語に合いやすい」楽曲を意識して選んだような印象がある。韓国アルバムではタイトル曲よりも激しいダンスパフォーマンスが印象的だった「Dionysus」に関しては、オリジナルの歌詞でもサビの部分で「飲め飲め」と繰り返すパートがあるが、日本語に訳される事でそのどこかユーモラスな部分がダイレクトに伝わる事で、韓国語が直接的にはわからないリスナーにとっては韓国語のバージョンとはまた異なる印象を与えるかもしれない。

 今回のアルバムに収録された13曲のうち新録のINTRO・OUTRO、シングルとしてリリース済み・アルバム用新曲の5曲以外の8曲は既存曲の「日本語バージョン」であるが、日本でのオリジナルアルバムでも毎回収録曲をサンプリングしたINTROとOUTROを収録しており、アルバムの基本的な構成も韓国アルバムと同じにしている。日本国内ツアー用のアルバム的な立ち位置だった「Wake Up」以外は花様年華シリーズに対しての「Youth」、Love Yourselfシリーズに対する「Face Yourself」そして今回のMap Of The Soulシリーズと、日本のアルバムも韓国アルバムの延長上にある作品であるという事を一貫して表現してきているようだ。

 このように日本のKPOP界隈ではお馴染みとなっている「日本オリジナル楽曲」「日本語バージョン」ではあるが、日本でも「BTSはビルボードチャートの1位をとるくらいアメリカでも人気がある」という認識が広まっている現在、「アメリカでは韓国語でパフォーマンスしている(英語の楽曲は出さない)のに、なぜ日本では日本語の楽曲・バージョンをパフォーマンスするのか」という疑問をもつ人もいるかもしれない。そこで、このアルバムを通して「日本語バージョン/日本オリジナル楽曲」というものの歴史的経緯と意味について振り返ってみたい。

「日本語バージョン」のビジネス的な歴史

 韓国のアーティストが最初から必ずしも日本語で歌っていたわけではない。東方神起や少女時代で知られるSMエンターテイメントは2000年代初頭までに何回か日本進出を試みていたが、韓国での人気グループをそのまま輸出しても当時はなかなかうまく行かないなかで考え出されたのが文化技術(CT=Culture Technology)理論と名づけられた「現地化戦略」であった。このCT理論とは3段階に分けられている。

第1段階:韓国の事務所が直接作って輸出する

第2段階:海外の現地企業との協力を通じて市場拡大を図る

第3段階:現地企業と合弁会社を立ち上げ、韓国のCT(文化技術)を伝授する

 この「現地化戦略」においてあえて「韓国のアーティスト」という売り方をしなかったBoAや東方神起が日本のアーティストとほぼ同等のブレイクをした結果、K-POPという言葉が使われるようになる前から韓国のアーティストというものがポップスやアイドルの分野でも一般的に認知されて受け入れられるようなベースが出来たという事だろう。これが後に日本での「第一次K-POPブーム」のきっかけへと繋がっていったが、現在までこの手法がK-POPアイドルの日本進出にあたっての基本手法になっており、BTSは完全にSMの手法をそのまま応用している。

ビジネス的な側面:韓国と日本のアルバムリリース手法の違い

 韓国ではアルバムリリースの資金はほぼ全て事務所が出すのが普通で、レコード会社は流通を担当するだけだが、日本ではレコード会社の出資割合も多いため、それなりにレコード会社がリターンを受けられるリリーススタイルが求められるのではないかと考えられる。出資するからにはレコード会社もプロモーションに資金と労力を使ってくれるという構図があるのではないか。

 そのためにはオリジナルシングル・アルバムのリリースが理想的であり、事務所的にも全ての資金とリスクを負う必要がないので、ある程度の利益が見込まれる規模のファンドムがある海外でのビジネスという事を考慮しても、悪くない条件が揃っているという事ではないだろうか。

 今回の『MAP OF THE SOUL 7:The JOURNEY』も初動で55万枚以上売れている。逆にレコード会社に所属していないと、特にメジャーなプロモーション的にはドームクラス以上のコンサートやTV出演などで制限が出てくる場合もあるだろう。

K-POPの大手会社、日本進出への野望とアメリカでのスタンスの違い

 上記の「CT理論」を実践していった結果、日本では既にK-POPはひとつの音楽ジャンルとして定着している。その結果、現在ではメジャー事務所の多くはもはや「K-POP」「外タレ」という枠を超えて、人気の邦楽アーティスト達と同じ土俵で並ぶ事を目標としていると思われる。

 BTSの所属事務所であるBigHitエンターテイメントも、「日本のトップ芸能事務所に食い込みたい」という趣旨の発言をしていた事がある。その為には「ファンダム」「K-POPファン」という枠を超えた一般層へのアプローチという点で、あえて日本語で歌う事を選択している部分もあるのではないだろうか。

 特にBTSは韓国でブレイクする前の2015年までは韓国よりも日本で人気があると本国でも言われていた。ファンドムはレイヤーになっており、特に人気がトップクラスのアイドルでは、コアなファンドムの意向はさておいても、「人気があるから好き」というような浮動票というべきファン層や「お茶の間」へのアピールポイントとしての日本語がある種の武器になる場合もあるのだろう。

 上記の部分も含めての戦略上、チャート上位に入る規模のファンドムは構築されているが「K-POP」「アイドルファンドム」というバイアスが強い、あるいはまだその入り口に立ったばかりのアメリカを含めてのその他の文化圏では、「あえて韓国語で歌う」事でK-POPのイメージにあるエキゾチズムや神秘性を利用して価値を高めようとしている部分もあるのではないかと思われる。

 韓国のウェブマガジン「PPSS」に載ったKPOPと韓国語の関係性についてのコラムではこういった記述があった。

「(K-POPが)海外のリスナーたちにアピールするためにはグローバルポップミュージックとは異なる「異国情緒」を必ず表現しなければならない。これは音楽的な様式ですでにグローバルな普遍性をある程度確保したために可能なことでもある。音楽は簡単に親しみを持たせる事ができるEDM(そして若干のヒップホップ的味付け)であっても、それでも「韓国語の歌詞」で異国的な味を発揮することだ」
(https://m.blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=funky829&logNo=221146605278&proxyReferer=)

 そもそもBTSがアメリカで一般からも注目されるようになったきっかけは「楽曲そのもの」ではなく「(ウェブ・チャート上での)ファンドムの動き」である。故に華々しいチャート成績の陰には「自分たちのファンが頑張ってくれている」部分もある事を理解した上で「韓国語で歌っている韓国人のグループがアメリカで大きなファンドムを獲得している」という事そのものに価値があると理解しているのではないか。

 逆に言えばアメリカでネイティブではないアーティストが英語で活動する事の難しさがある一方、日本では日本語で歌うネイティブではないアーティストを受け入れる素地がある(KPOP以外でも演歌やロックバンドなど複数思い浮かぶ)と言うことでもあるだろう。アメリカと日本ではそれぞれ目指すものが違うために、活動のスタンスが異なるという事ではないだろうか。

韓国語の歌詞と日本語の歌詞

 実際はBTSのように「アイドルとしてのファンドム」が人気の根幹である場合、ファンとしては「何語でも彼らがパフォーマンスする事に意味がある」ということになるため、どの言語のパフォーマンスでも売上そのものは大きくは変わりにくいと思うが(日本語オリジナル楽曲も80カ国以上のiTunesで1位になっている)、その国の言葉で歌う事には言語的バイアスがなくなる事によるデメリットも出てくる。

 ネイティブである韓国ではBTSの楽曲の歌詞自体の評価はあまり高くない(むしろパフォーマンスの中では問題を指摘される事の方が多い)という事を考えると、翻訳を通す事で聴き手が自由に(勝手に)ファンタジー持つ余白が出来る事がメリットになるという事でもある。

 YGエンターテイメントのようにアーティストの活動場所での語学力そのものを強化(YG所属アーティストのライブでは、デビューコンサートから通訳が不在である)する事で「現地化」に説得力を持たせようとするパターンもあるが、日本活動ではそのデメリットと一般層へのアプローチとのバランスを考えると、日本語を熟知した日本側の制作陣に委ねた日本オリジナル曲を出す事が最善の選択かもしれないが、ほかの活動時間との兼ね合いで生まれるのが「日本語バージョン」という事かもしれない。

 「日本語バージョン」の「音のハマり方」、あるいは意味を重視しすぎるが故に歌詞の持つポエティックな側面がおざなりになったりという、クオリティ面での問題が出ることもあるかもしれないが、すでに韓国語バージョンに親しんでいる日本語ネイティブの「ファン」が日本語バージョンを聴いたときに感じる「違和感」に関しては、先述の「クオリティ」に起因するものなのか、「耳慣れない」という部分から来るものなのか、もしくは「意味がわからずかっこいいと思っていた歌詞だが、意味がダイレクトにわかってしまうとイメージが違った」という王様(欧米の有名な楽曲を日本語直訳詞で歌って笑いをとったアーティスト)的「言語バイアス」の魔法が解けたからなのかは、リスナー自身が韓国語と日本語を同じくらい理解できなければわからないのではないだろうか。

 また、近年K-POPでは海外の作曲家による楽曲が多くを占めているが、OH MY GIRLのプロデューサーを務めていたチェ・ジュヒョク氏は「海外の作曲家は通常英語で作詞した歌詞をつけて完成した曲を企画会社側に送り、関係者の方は一旦英語の歌詞がついた曲を聞いて本当に気に入ります。しかし、いざ韓国語で歌詞を付けてメンバーに歌わせると駄目なんですよ。(略)同じ曲でも言語で違いが出てくるんですよ。これはジャンルに関係なく、韓国歌謡が持つ特徴でしょうね」と述べており(http://idology.kr/8497)、K-POPの制作現場においても「言語的バイアス」というものが存在している事を明らかにしている。

「自作」としてのアイデンティティ?

 「自作しているアーティストの場合、現地化や日本語オリジナル曲では直接作ったものとの差異が出てくるのでは」という話に関してはどうなるだろうか。

 「BTSは自作している」という印象が一般的には強いと思われるが、実際のBTSの具体的な制作手法は神秘のヴェールにつつまれている部分もある。作曲に共同参加したアメリカの作曲家からの「制作の仕方に関しては守秘義務のある部分もある」という発言もあった。勿論メンバーが製作に参加している事は間違いないが、タイトル曲ではメインでメンバーが作曲している楽曲はまだない。アルバムのブックレットではデビュー当時からプロデューサー以外誰がメインなのかはあえてわからない表記にしているようだ(音源配信サイトのクレジットでは名前の順番で参加割合が確認できる)。

 個人のミックステープでも事務所所属のプロデューサーはもれなく参加しており、どちらかといえばメンバーも含めた「チームBTS」というべきスタイルでの制作なのではないかと思われる。メンバーの創作パーツや意見は反映されるとしても、基本は共同でプロデューサーや共同作曲の海外作曲家などもいる事を考えれば、日本の作詞・作曲家と共同で作曲することにも本質的には大きな差はないと言っても良いのではないだろうか。

韓国の現地化&カバー文化

 韓国では日本文化が解放されたのがほんの数十年前で、今でも国営放送では日本語の歌は流れないし、ほぼ放送禁止状態である。その反面、日本の歌を韓国語でカバーして国民的なヒットになった曲は「I LOVE YOU(尾崎豊)」「雪の華(中島美嘉)」など珍しくないし、日本の歌だと知らずに聴いていたという人も少なくないようだ。

 アニメや漫画なども、韓国が舞台に変わっていたりキャラクターが韓国人に改変されて韓国のもののように定着してきた文化がある。日本のドラマを放送する場合も、字幕だけではなく画面に出てくる文字、例えば看板や表札、新聞や本、トラックの文字等まで全て韓国語に直して放送されている。

 つまり、韓国では日本の文化を現地化して消費してきた歴史があり、そういう点では日本人が考えるほど「現地化」という行為そのものに抵抗がない部分もあるのかもしれない。

 実際、韓国語のウェブトゥーンが日本に配信される時は人気作品ほど日本が舞台で日本人の名前に変えてあるケースが多い。最近の例だと日本でもドラマがヒットしている『梨泰院クラス』の原作ウェブトゥーンが日本配信バージョンでは『六本木クラス』に「日本化」されており、主人公のパク・セロイは宮部新という名前になっている。

 日本に配信されている韓国のウェブトゥーンはほとんどの配信会社が韓国企業であり、「現地でハネるには現地の名前にした方がいいでしょう(我々にとってのスラムダンクやクレヨンしんちゃんや名探偵コナンみたいに)」というような「韓国的」な感覚でやっている事ではないかと思われる。

 日本の文化的には、舞台設定やキャラクターの名前のような大切な部分をわざわざ変えていいのだろうか? という戸惑いの方が大きく、不必要にも感じられると思うのだが、これは「韓国のアーティストが日本語でパフォーマンスすること」や「日本語バージョン」への抵抗とどこか似ているように感じられる。

多様化する「現地化」と海外活動のスタイル

 日本国内ではとかく「日本でだけ」という口調で語られがちだが、「K-POPの現地語バージョン」は実際は日本語だけではない。一時期K-POPの中国進出が活発だった時期は中国語バージョンも数多くリリースされたが、政治的な理由で韓国のアーティストは中国内で本格的な活動できなくなったために、現在は止まっているだけではないかと思われる(2016年に韓国が高高度防衛ミサイルを配備した報復措置として、中国では韓国の芸能人の活動が制限されていると思われる)。

 BTSも過去中国にFCを作った時期には中国語バージョンをリリースしており、中国語圏で披露していた。「CT理論」の産みの親であるSMは現在でも英語・日本語・中国語の区別なく活動国での現地語バージョンをリリースしており、当初は韓中でパラレル的に二つのグループを活動させる予定だったEXOは中国語バージョンのアルバムを同時にリリースしていたし、SUPER JUNIORの中でも個人でタイのCMに出演するくらい人気のあるメンバーのキュヒョンは、ソロ曲のタイ語バージョンリリースしている。

 BTSの例でよく挙げられる「英語バージョン」に関しても、SM所属のNCT(NCTはCT理論の進化版とも言えるネオ・カルチャー・テクノロジー理論を体現するべく作られた)だけでなく欧米圏で人気を拡大しつつあるJYP所属のGOT7やStray Kids、アメリカのリパブリック・レコードと契約した(G)I-DLEなど現在では珍しくない。中でもMONSTA Xは昨年欧米活動の本格化にあたって、アメリカのレコード会社から全曲英語のオリジナルアルバムをリリースした。

 このように、現地語バージョンは決して「日本でだけ」の手法ではないが、日本が韓国のアーティストにとって概ね活動を継続しやすい環境であるという部分は大きいのかもしれない。近年ではThe BOYZのように「日本オリジナルアルバムだけど収録曲はほぼ韓国語か英語(少し日本語)」というパターンや、先に日本語でリリースした曲を後から韓国語バージョンでリリースしたりと様々なパターンがある。

 つまり、多様化する活動スタイルの中からどのようなやり方を選ぶかはK-POPアーティスト(事務所)側に選択肢があるという事でもあるだろう。韓国では一部のファン(かどうかはわからないが…)が「日本語で歌うな」という抗議行動をしたりするケースが、特に特定のグループが人気が出た後に見られたりもするし、「韓国のアーティストが日本で日本語でパフォーマンスする」という事に反射的に「強制性」を感じてしまう層もいるのかもしれない。

 しかし、そのような目線自体が逆にK-POP=韓国の事務所・アーティストに主体性がないかのような一種のバイアスとも言えるだろう。

 SMの提唱した「CT理論」は3段階あったが、JYPが中国でBOYSTORYを結成したり日本でNizi Projectを経てNiziUを作ったやり方は、まさに第3段階の「現地企業と合弁会社を立ち上げ、韓国のCT(文化技術)を伝授する」である。CT理論の究極段階は、このように「どこの国で、どの言語で、何人がパフォーマンスしてもK-POP」というスタイルを確立する事にあるという事になる。

 「ロック」や「ヒップホップ」のような存在になる事を目指しているのであれば、「日本では日本語の曲をリリースして日本語でパフォーマンスする」というのは、K-POPの壮大な野望のほんの一過程にすぎないのかもしれない。

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