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実は愛妻家だった? 「光る君へ」の藤原道長の意外な一面とは【夫婦・子育ていまむかし Vol.23】

Woman.excite / 2024年6月11日 19時0分

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ウーマンエキサイトをご覧のみなさん、こんにちは。tomekkoです。

文豪シリーズですが、意外な一面を知れば知るほどその人に親近感や愛着を感じるということに気づきまして…。

これは文豪に限らず、いろんな偉人の意外な一面も知りたいぞ!
ということで調べるジャンルを広げてみました。

というわけで、今回は大河ドラマ『光る君へ』で大注目の、あの方…!


そう、藤原道長。平安時代の摂関政治の仕組みを完成させ最高権力者となった人で、源氏物語の光源氏のモデルとも言われているのです。

実は私、それくらいしか知らないんです。
日本史好きと言うより装束オタクなので、自分の好きなジャンル以外は高校日本史の知識なのです。
なので以前女性文豪編で紫式部と清少納言を描きましたが、その時もまだ教科書レベルの道長イメージで描いています。

やはり成し遂げた功績とそこまでの経緯にいささか悪どい印象があるからでしょうか。はたまた道長といえばこの歌!! ぐらい有名な 「この世はすべて私のためにあると思う!」と詠んじゃった自画自賛ソングのせいでしょうか…。
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ただ、ただね?

紫式部たちのように自らの経験をしたためることのできた女性ですら多くが謎に包まれているのに対し、道長については千年前の人とは思えないほど詳しいエピソードが残されているのです。
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なぜかというと…。
それは本人含め多くの公人が日記に記しているから。

当時の日記は人に読まれることを前提としており、特に男性の書く日記は政治に関する公式記録と言えるものなので、政治の中心部に長く存在感を示していた道長のことが多く書かれるのは当然です。

そこで多くの人々に記録された道長のエピソードから、特に意外なエピソードを探してみました。

実は愛妻家だった?
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道長の成功の秘訣は、もちろん本人の戦略や才覚や運の良さもありますが、何よりの功労者はその妻と子どもたちでしょう。

多くの女性の元に通った道長ですが、主な妻は二人。同居して公にも「北の方」と称された源倫子と、同等に身分は高いものの第二夫人的扱いの源明子。

この二人の妻がすごいんです! なんと女性の平均寿命が40歳程度だった(ただし幼少期の死亡率が高いため平均を下げている)時代に、どちらも80代まで生きた健康長寿!さらに二人は、それぞれ6人ずつの子どもがいるのです。

早すぎる妊娠出産や難産、産後の肥立ちの悪さなどで亡くなる女性も多い中…この結果は偶然とは思えませんね。

倫子も明子も、20歳を超えてから道長と結婚しており、また出産の頻度も程よく間が空いていて、体への負担が少なかったのではないでしょうか?

と考えると、女性たちの持って生まれた体の強さはあるにしても道長は(この時代の男性にしては)、子育てや母体への負担に配慮していたのかも。

まぁ他にもたくさん通うところもあり、仕事も忙しかっただけ…なのかも知れませんが、結果的に健康な妻が多くの子を成したことで三代の天皇にそれぞれ一族の娘たちを入内させ皇后にすることができたわけで、この妻と子なくして道長の大出世は語れないのです!
と、この成功要因を本人も痛感していたからなのかは分かりませんが、道長は自分自身の昇進を辞退して妻や家族の授位を優先しているんです。
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五男の末っ子でありながら、邪魔な者は身内でも排除して兄弟たちを踏み越えのし上がった出世欲モンスターみたいなイメージありません?私はありました。

でも実際には正妻倫子の方が位が上という状態が続くのです。

もともと道長よりも家柄的にも高い人ではありますが、こういうところにも道長の妻への感謝と心配りがあるように思えますね。


そしてやっぱりどんなシゴデキ男だって孫にはメロメロ。
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溺愛する孫におしっこ引っかけられて喜ぶなんて、千年経っても貴族でも庶民でもジイジってどこも同じなんですね。

とはいえこのほっこりエピソード、その孫が中宮となった娘彰子が産んだ皇子で次期天皇だったからこそのお喜び、だったのかもしれません。

自分と血縁関係の人間がついに天皇になる。『夢が叶う』という言葉にはちょっと裏を感じてしまうなぁ…。

二面性のある不思議な性格だった?
そんな気遣い上手な、そして身内には無邪気な一面も見せていた道長ですが、同性に対してはどこか怖さを感じるエピソードが豊富です。

長兄道隆の息子であり道長の甥、伊周とは特にソリが合わなかったのか政治的に対立していたとはいえ、宮中で掴み合いの喧嘩をしたり、弓くらべでは挑発して見事に矢を命中させています。
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若い時には宿直(夜間の宮中警護)中、暇を持て余した帝(花山天皇)から肝試しを命じられ、次々脱落した兄たちを尻目に一人お供もつけずひょうひょうと歩いて行き、大極殿まで行って柱の一部を証拠に削り取ってきたという逸話も。

感情豊かなのに、冷静で豪胆。で、めちゃくちゃ負けず嫌い。多才で不思議な人だけど、成功する人ってこういう人なんだろうな、という妙な納得感もあります。(もちろん後年作られたエピソードも多数あると思いますが)


有名なアノ歌は
ダダ滑りしていた可能性も

そして冒頭に登場したアノ有名な月の歌。

実は『黒歴史』だった…のかもしれません。

一族から三代の皇后を出す『一家三后』という歴史上類を見ない大成功を収めた道長。そりゃ調子に乗ってしまうのもわからなくはないのですが…。

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娘威子が後一条天皇の中宮に立后したことを祝う祝賀会でのこと。『小右記』を記した藤原実資を呼んで

「今から歌を詠むから必ず返歌してほしい」

と前置きし、実資も「もちろんです!返さないことなどありましょうか」と応じたのですが、詠んだ歌があまりにもあまりにもだったからでしょうか…? 返歌をする代わりにその場にいた公卿(くげ)たちと道長の歌を唱和しました。

『小右記』にこの歌について特別批判めいたことは書かれていませんが、返歌を約束した上でのこの対応って、ちょっと勘繰ってしまいますね。最高権力者が浮かれているのをみんなドン引きして見ていた…?

ということで、きっと道長も翌朝酔いが醒めたら(みんな記憶なくしてますように…)とゾッとした酔っぱらい傲慢ソングだったのかもしれません。(もちろん諸説ありますが。)

他にもたくさんのエピソードが残っており、有名な紫式部や和泉式部たちとの会話も残されています(セクハラトーク多め)。

本人の直筆も残っていて、事細かに日記に記す几帳面さの割に字の書き方はおおらかだったりとさまざまな面が見えて面白いのですが、『紫式部日記』などから人物像を探るのもおすすめです。成功する男の特徴・性格が垣間見えるかもしれませんよ。
(tomekko)

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