【絶品グルメ】今が旬の「ふぐ」!最初に食べたのは、まさかの○○時代の人!

Woman Insight / 2014年11月21日 21時30分

薔薇の花にはトゲがある。おいしいものには毒がある。
「毒がある」食べものの代表といえば、そう、ふぐ。

今や当たり前のように食べているふぐですが、今のように毒を避ける方法が確立されるまでは、中毒者が大量発生し、食べる際の罰則規定もあったほど。まさに、命をかけて美食を追求していました。
そんな古来から愛され続けているふぐのトリビアを『和樂』12月号よりご紹介します。

【1】なんと、ふぐは縄文時代から食されていた!

千葉県の姥山貝塚をはじめ、全国の貝塚からふぐの骨が出土していたことから、日本人は縄文時代にはすでにふぐを食べていたと考えられています。ちなみに、平安時代の薬物辞典『本草和名』にも「布久」という名称にて掲載されておりました。この頃は、塩と酢につけて「なます」としてふぐを食すのが主流だったようです。

【2】武士の時代には中毒者が出すぎてふぐ禁止令が出た!

時代は戦国時代へ。豊臣秀吉が朝鮮出兵を行ったときに、拠点となった肥前名護屋(現・佐賀県唐津市)では、多くの武士たちがふぐを食べて命を落としたので、「河豚食用禁止令」が出ました。江戸時代になり、味噌や醤油が普及すると「ふぐ汁」が人気になりましたが、やはり中毒者が絶えず、各藩がふぐ食を取り締まるほど。長州藩ではふぐを食べて中毒死した武士の家は、家禄の没収や家名断絶という罰則が定められていたとか……それでも食べる気合い、すごいです。

【3】明治時代、ふぐ食を解禁したのは伊藤博文!

明治時代になってもふぐ中毒者は減ることがなく、秀吉の時代から数えて数百年もの間取り締まられていたふぐ。しかし、明治21(1888)年、当時の総理大臣で山口県出身の伊藤博文が下関を訪れたとき、そのあまりのふぐの旨さに感銘を受け、山口県では全国に先駆けてふぐ食が解禁になりました。追ってその4年後、東京都でも「内臓を除去し、洗浄する」という条件つきで解禁になります。

【4】三島由紀夫も、北大路魯山人も、大作家たちはふぐを愛していた!

戦後、銀座や赤坂などでも下関や大分の新鮮なふぐが食べられるようになり、高度経済成長とともに高級料理として定着しました。そして三島由紀夫、北大路魯山人、『失楽園』で有名な渡辺淳一など著名な文化人たちがこぞってふぐを愛し、エッセイなどにその魅力をしたためたことから、さらにふぐが“憧れの美食”となっていきました。

透けるほどに薄く美しく切られた刺身でも、厚い身を楽しめる鍋でも、どんな食し方でも美味しいふぐ。「縄文時代から食べられてたのかぁ」「昔は罰則があったのか……」「三島由紀夫もこの味が好きだったのね」などと思いをめぐらせると、食事の時間もさらに楽しくなりそう。ぜひふぐを食べる際には思い出してみてくださいね♪(後藤香織)

(『和樂』2014年12月号)

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