【エッセイ】鳥飼茜の女友達問題

ウートピ / 2016年7月22日 15時0分

私は学生時代に下着泥棒の被害にあっていて、周囲に相談するもこちらの深刻さが全く伝わらないことに落胆しきった経験があります。伝わらないのは怖さでした。人々からすると下着泥棒という存在の滑稽さ、たとえば盗んだパンツを被っていそいそと逃げる、みたいな漫画的マヌケさがその恐怖感を薄めているんだと思うけど、されたこっちはとにかく恐怖なのです。相手がいくら下着をこっそり盗む「くらいしか」できない小心者であろうが、身に覚えもなく、ただただ女の姿をしている私が標的になったという事実は、はっきりいって生きた心地がしない恐ろしさでした。そのせいで私は女の姿をしていることが不快でたまらなくなり、坊主(か角刈り)にするかどうかで迷った。そして坊主にする勇気も女でいる胆力も持ち合わせないまま、自ら選択をする事はなく、姿はそのまま女で居続けたわけです。

下着泥棒程度の被害で私は女であることを呪ったのです。実際に、目の前で性を狙われ命を脅かされたMさんの恐怖は想像を絶しました。

そこへ来て、彼女の「その次の行動」はそういった私の共感を、それはもう豪快に振り切っていた。

ふんわりしているからと言って、迎合しているわけではない

Mさんは恐怖の底を味わった翌朝、丁寧に巻いたロングヘアにふんわりスカートで出勤したのです。

実は私は、いわゆるOL的フェミニンスタイルに転じたMさんを本心では没個性で残念に感じていたのです。でもそうじゃなかった。個性は死んでなんていなかった。奇抜な古着姿と同じく、主張があったのです。彼女は、意識して、胆力で、女で居続けた。私には到底成し得なかった行動でした。

めちゃくちゃかっこいい。
今もそう思います。

Mさんとはその後、ある時意見が決裂し、会うことはなくなります。これは単に自然消滅とは言えない形で、ひとえにわたしの、他人に対する共感と堪え性のなさが原因です。

意見が違うことも、生き方が違うことも、他人だからしょうがない。恋人ほど執着が続かないから、一生ズッ友でいられることなんて奇跡です。
でもその時の彼女の個性は今も私を圧倒し続ける。あんなにも執着した男の子たちのどの思い出をも、軽く蹴っ飛ばして今も燦然と頂点あたりに輝いている。
いつかまた会えたら嬉しいけど、会えなくてもいい。友達だった時間は一部ではあっても、ずっと残っている。

だからって開き直っている場合じゃないのかもしれない。自然発生した友情は歳とともにどんどん希少なものになっているわけで、1人では生きていけないわけで、だから私はこれまで以上に大事に丁寧にそれを扱わないといけない。共感と関心と堪え性を持って。わたしにとってアラサーの友情問題とは、そういうことであります。

(鳥飼茜)

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