自分を「本能的に悲劇のドラマを好む生き物」だと思えますか?

ウートピ / 2019年3月7日 20時45分

「体制に抵抗」したり「既成概念を破壊」したり「既得権益を切り崩し」たりというのは、世の中をおかしいと思うセンスや鋭さ、つまり当たり前を当たり前とせず変わっていこうとする「脳」力と体力と精神力を要求します。ロックなのです。ロックできるうちはさんざんロックしておくべきです。なぜなら、人は齢をとると変化への対応力というか耐性が徐々に失われ、思考が停止しないまでも明らかに「安住」し、その安住の地からアームチェア探偵なみに少ない情報で世の中を分析して犯人探しをして納得し、夜安らかに眠るようになるからです。

だから既成概念はどんどん疑っていいし、既成概念は破壊していい。だけど、本書『ファクトフルネス』を正しく読んだなら、その疑い破壊すべき既成概念は、自分の外ではなく中にあることを知ったはずです。この本で「人を殴っちゃいけない」。この本は「自分自身を批判的に見る」ことを教えてくれたのであって、それで他人を「あいつは自分を批判的に見ることができていない、本能的なモノの見方に支配されている」と責めるのは、まさに本質的でない犯人探し(徒労)以外の何物でもないからです。ロックは他人を攻撃するための音楽ではなくて、人と一体になり、自分の魂をアゲるための音楽なのです。

メディアは現実を映し出す鏡にはなれない

ジャーナリストのクイズの結果は悲惨なものだった。悲惨さの度合いでいくと、飛行機事故といい勝負だ。でも、睡眠不足のパイロットを責めても意味がないのと同じで、ジャーナリストを責めてもどうにもならない。むしろ、ジャーナリストの世界の見方がどうして歪んでいるのかを理解しよう(正解:人間には誰しもドラマチックな本能があるから)。そして、歪んだニュースやドラマチックな報道をしてしまう背景にはどんな組織的な要因があるのかを知るよう努力すべきだろう(部分的な答え:視聴者の目を引きつけられなければクビになってしまうから)。
それが理解できたら、メディアにああしろこうしろと要求するのは現実的でも適切でもないとわかるだろう。メディアは現実を映し出す鏡にはなれない。

——「ファクトフルネス」P.270(日経BP社/ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド共著/上杉周作、関美和・訳)

メディアの片隅にいる身として、ジャーナリストとはどんなに努力しても世界の見方が歪んでおり、メディアとはどんなに努力しても偏向するものであって現実を映し出す鏡にはなれないと断言されているこのくだりには、ぐうの音も出ません。私は自分の(性格とか諸々の)偏屈な歪みだけにはとても自覚的なので、ジャーナリストという職業には公正さが要求されるような気がして、自分をジャーナリストと名乗ったことがありません。でもその憧れのジャーナリストだって人間だから、いくらかでも偏向した主観からは逃れようがないのですよね。発信する側も主観的、受信する側だって主観的、そう思えば、この世はなんてまるっと主観的なんでしょう。

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