<Wコラム>韓国時代劇が10倍面白くなる「実録! 朝鮮王朝物語」~朝鮮王朝の初代王〔その2〕
Wow!Korea / 2016年5月9日 20時42分
■王命にさからう決意
李成桂(イ・ソンゲ)は、10万の大軍を率いて遼東の地を制圧しに向かった。
しかし、李成桂の懸念通り、連日の雨で兵士たちの間に伝染病が流行した。そのため、高麗の軍勢は鴨緑江(アンノッカン)の中流にある威化島(ウィファド)にて留まらざるをえなくなった。
その間も兵たちの士気の低下は著しかった。
こうした状況を憂いた李成桂は、高麗王へ兵を引き返す許可を求めるが、一度下された命令が覆ることはなかった。
李成桂は憤りを隠せなかった。
「国を思う私の忠告も聞かず、ろくに戦況も把握できずに兵を死なそうとする者を、私は王として仰がなければならないのか…。将である私1人が死ぬ分には構わないが、不甲斐ない私のためにこれ以上兵を殺すわけにはいかない」
葛藤の結果、李成桂は威化島にて全軍を引き返す決意をした。この決断をしたことで、李成桂は王名に逆らった反逆者として処罰されるしかなかった。しかし、彼は降りかかる困難をただ見ているだけの男ではなかった。
「この高麗に平穏な秩序を設けよう」
李成桂は断固たる決意を胸に秘め、都へと軍を引き返した。
■朝鮮王朝が建国
李成桂は反逆者となった。
それを官軍は許さず、いたるところで戦闘が始まった。もはや退路のない李成桂たちは果敢に戦い、彼らの勢いは官軍を上回った。
最後に、都に戻ってきた李成桂の軍勢の前に崔瑩(チェ・ヨン)将軍が立ちはだかった。高麗最高の武将と言われる2人の対決だったが、軍配は李成桂の側にあがった。
勝利した李成桂は、高麗の完全なる実権を握った。
李成桂は高麗王を追放し、自分の都合のいいように動く恭譲王(コンヤンワン)を王位につけた。
しかし、黒幕でいることよりも自ら王になりたいと思い、1392年に即位した。太祖(テジョ)の誕生である(以後、李成桂を太祖と表記)。
当初、太祖は高麗の国号と法制をそのまま使って国を治めようとしたが、多くの人々が高麗を懐かしんで自身に従わないと感じ、国号と首都を変える決意をした。
国号は「朝鮮(チョソン)」となり、首都は1394年に漢陽(ハニャン/現在のソウル)に移った。
国教も仏教から儒教に変わった。
その結果、仏寺はことごとく破壊された。そのために、仏教を志す者たちは山林の中に身を隠し、ひっそりと暮らすしかなかった。現在の韓国で仏寺が山林の中に多く残されているのはこの影響だ。
■死を選んだ高麗の忠臣たち
太祖は産声を上げたばかりの朝鮮王朝をより強固にするために、有能な臣を求めた。
-
- 1
- 2
この記事に関連するニュース
-
【コラム】またまた発祥地争い勃発か! 北朝鮮
Global News Asia / 2024年5月11日 19時0分
-
最高幹部11人が処刑された、北朝鮮「性の狂宴」での逸脱行為
デイリーNKジャパン / 2024年5月9日 4時2分
-
晩年の豊臣秀吉のイヤな性格がよくわかる…朝鮮出兵の前線基地「肥前名護屋城」に作らせた意外な施設【2023編集部セレクション】
プレジデントオンライン / 2024年5月4日 10時15分
-
志らべのユー、次なに見る 「300人vs100万人」ペルシア戦役、壮絶な戦闘描写と出演陣の肉体も見どころ 映画「300 <スリーハンドレッド>」
zakzak by夕刊フジ / 2024年5月4日 10時0分
-
金正恩の大型ベンツを「中国車」で追い越した軍高官の悲惨な運命
デイリーNKジャパン / 2024年4月27日 8時32分
ランキング
-
1中川翔子、激怒「わたしはおこっていますよ!」自身名乗るDMに「言語道断横断歩道!」
日刊スポーツ / 2024年5月11日 14時10分
-
2元モー娘。加賀楓が芸能界引退を発表「ダンスを一から学んでいく方向に」9月舞台終了後 24歳の決断全文
スポニチアネックス / 2024年5月11日 21時3分
-
3速水もこみち激変! ひげ生やしたワイルドな姿に衝撃「やばい」「きゅん死にするわ」
ORICON NEWS / 2024年5月11日 14時28分
-
4ノンスタイル 井上、”原因不明”の腹痛を原因を報告「胃腸炎でした」
エンタメNEXT / 2024年5月11日 16時56分
-
5炎上収まらず…ハライチ岩井勇気「失礼投稿」にも返信する野呂佳代“オトナの余裕”のワケ
日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年5月11日 14時28分
複数ページをまたぐ記事です
記事の最終ページでミッション達成してください