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<Wコラム>必読! 『テバク』の歴史解説

Wow!Korea / 2016年5月14日 12時18分

王宮の中では常に、王、王妃、側室が複雑な関係を作っていた(写真提供:ロコレ)

■粛宗を取り巻く女性たち

朝鮮王朝の19代王だった粛宗(スクチョン)。ドラマ『テバク』では、名優のチェ・ミンスが演じている。

歴史上で見ると、粛宗には合計で4人の正室がいた。

最初の正室は仁敬(インギョン)王后だったが、天然痘のためにわずか19歳で亡くなっている。

二番目の正室は仁顕(イニョン)王后で、人格が優れていて多くの人から慕われたが、子供に恵まれなかったために、次第に粛宗の寵愛を失っていった。

代わって粛宗の寵愛を受けたのが張禧嬪(チャン・ヒビン)であった。彼女は朝鮮半島の歴史に残る悪女と称される女性だ。

一介の宮女にすぎなかった張禧嬪。巧みに粛宗に近づき、ついには粛宗との子を成して宮中での権勢をほしいままにした。

ちなみに、「嬪(ピン)」とは王の側室の中で最も高い地位にいる女性につけられる品階である。その上は、もう「妃」しかない。張禧嬪はその座を狙った。

そうなると、邪魔になるのが仁顕王后である。張禧嬪は策をめぐらして仁顕王后を正室の座から追い落とすことに成功して、念願の王妃になった。

このあたりの事情は、キム・ヘスが主演したドラマ『張禧嬪』でも詳しく知ることができる。

ただし、彼女の栄華は長く続かなかった。

政治派閥の権力闘争の過程で、35歳だった1694年に張禧嬪は王妃の座から側室に降格し、再び仁顕王后が正室の座に返り咲いた。

■テギルの母はどんな人?

仁顕王后は1701年に34歳で亡くなった。それが同時に張禧嬪の破滅の序章になった。

というのは、張禧嬪が神堂を建てて仁顕王后を呪い殺そうとしたことが発覚したのである。なんとも神がかり的な話なのだが、実際に仁顕王后が亡くなっているので、これは重大な反逆罪となり、粛宗は張禧嬪を死罪に処した。

こうして、宮女から王妃まで異例の出世をした希代の女性は42歳で生涯を閉じた。

ただ、張禧嬪の増長を許したのは粛宗本人であり、彼の女性遍歴が宮中の火種を生むことも多かった。

そんな粛宗が後半生で寵愛したのが淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏だった。ドラマ『トンイ』の中でハン・ヒョジュが演じている主人公である。

この淑嬪・崔氏が生んだ息子がのちの21代王の英祖(ヨンジョ)だ。『テバク』ではヨ・ジングが演じている。

英祖が生まれたのは1694年だが、実は淑嬪・崔氏は前年の1693年にも粛宗の息子を産んでいる。それが永寿君(ヨンスグン)である。

悲劇的なことに、彼はわずか2か月あまりで早世している。これは歴史上の話なのだが、この永寿君は亡くなったのではなく捨てられたのだ、というのが『テバク』の面白いところだ。

捨てられた理由は、「粛宗が永寿君は自分の子供ではない」と疑念を持ったからだという。ありそうな話だ。というのは、淑嬪・崔氏は粛宗の側室でありながら、別の愛人がいるという噂が当時も宮中に起こっていたからである。

謎めいた女性だった淑嬪・崔氏。彼女が産んだ長男が捨てられて、最下層の身分として育てられてイカサマ師になる。それが『テバク』の主人公となるテギルであり、チャン・グンソクが演じている。

結局、テギルと英祖は兄弟になるわけで、その2人が国家を賭けて一世一代の大勝負をするのが『テバク』の最大の見どころになっている。

文=康熙奉(カンヒボン)

(ロコレ提供)

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