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<Wコラム>朝鮮王朝おもしろ人物列伝(15代王・光海君)~暴君の汚名を着せられた隠れた名君

Wow!Korea / 2016年6月15日 17時42分

しかし、光海君が即位しても王位継承争いは落ち着かなかった。いまだ中国の明がまた光海君の即位を認めなかったのだ。さらに、王になれなかった臨海君もまた、光海君への批判を繰り返していた。

この状況を不安視した光海君を支持する派閥の大北(テブク)派は、1609年に臨海君を謀殺するのだった。

臨海君の排除が終われば、当然ながら標的は永昌大君に移る。

彼らは仁穆王后の一族が王位転覆を狙っていると濡れ衣を着せると、永昌大君を江華島(カンファド)に島流しにして、仁穆王后を離宮(現在の徳寿宮〔トクスグン〕)に幽閉してしまった。

大北派の陰謀はこれだけではなかった。1614年、彼らは永昌大君を部屋に閉じ込めて焼死させている。永昌大君はまだ8歳だった……。

結果的に光海君は、兄と弟を殺害しただけでなく、義理の母になる仁穆王后を離宮に幽閉したのだ。儒教社会において徳を欠くこの行為は、とても容認できるものではない。これが、後世で光海君が暴君と呼ばれる最大の原因である。

しかし、光海君は外交面で多大な成果を残していて、内政面でも庶民の減税に尽力するなど、有能な王だったことは間違いない。業績だけ見れば名君と言われてもおかしくなかったのだ……。

■仁穆王后の怒りの訴え

血塗られた王位に座る光海君だが、そのツケを支払うときがきた。

1623年、大規模なクーデターが勃発したのだ。

主犯は、宣祖の孫の1人である綾陽君(ヌンヤングン)。彼は自分の弟である綾昌君(ヌンチャングン)が、謀反の罪で処刑されたことで、光海君に深い憎しみを抱いていた人物だ。

綾陽君は個人的な恨みでクーデターを起こせば、ただの反逆にしかならないことを理解していた。そんな彼が大義名分として掲げたのは、幽閉されている仁穆王后だった。

入念な計画が練られた綾陽君のクーデターは見事成功した。こうして、綾陽君は16代王・仁祖(インジョ)として即位するのだが、問題があった。

愛する息子を殺されて、自身も長年にわたって幽閉されていた仁穆王后が、執拗に光海君の処刑を訴えたのだ。いくら廃位となったとしても、先代王を簡単に処刑することは悪評に繋がりかねない。仁祖は仁穆王后の怒りを鎮めることに尽力する羽目になった。

なんとか、仁穆王后を落ち着かせた仁祖は、光海君を江華島(カンファド)に流罪として、最終的には都からもっとも遠い済州島(チェジュド)にまで流された。

共に流された妻や息子夫婦は流罪の苦しみから早々に命を落とすが、光海君は66歳まで生き抜いた。

すべてを失った王は、絶海の孤島で何を思って死んでいったのだろう……。

文=康大地(コウダイチ)

(ロコレ提供)

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