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<Wコラム>朝鮮王朝おもしろ人物列伝(思悼世子編)~英祖との間に大きな確執を持った世子

Wow!Korea / 2016年6月27日 18時56分

1762年5月13日、玉座の間に呼び出された荘献が目にしたのは、刀を構えた父の姿だった。

荘献は恐怖から父にひざまずくと、地面に頭をこすりつけて、ひたすら反省の意を示した。しかし、英祖はそんな息子に自決を命じた。

英祖の決定を多くの臣下が止めた。世子を処罰するなど、あまりにも行き過ぎた判断だからだ。

しかし、英祖は決定を覆すことはなかった。それは、荘献の息子である祘(サン)が「父を許してほしい」と懇願しても変わらなかった……。

こうして、英祖は荘献を世子から降格させて、自決するように言いつけた。

何度も自決を命ずる英祖だが、荘献は実行に移すことができなかった。業を煮やした英祖は、荘献を米びつの中に閉じ込めると、臣下たちに「絶対に開けてはならない」と命じた。

荘献が米びつに閉じ込められてから6日が経った5月19日、荘献が世子だったころに補佐して者たちは、みんな辞めさせられた。荘献の立場を明確にしたのだ。

閉じこめられてから8日目の5月21日、米びつの中で荘献が餓死していることがわかった。

息子が亡くなったことが、父親である英祖に知らされた。あれだけ荘献と険悪な関係だったのだが、英祖は意外にも息子の死を悲しんだ。そして、息子の名誉を回復させた後に、「思悼(サド)」という諡(おくりな/死後に贈る尊称)を贈っている。この「思悼」には、「世子を思い、死を悼む」という意味がある。

また、思悼世子の息子である祘は、後に22代王・正祖(チョンジョ)として即位する。正祖は不遇な最期を負った父の身分を回復すると、先王として追尊しながら水原(スウォン)に華城(ファソン)を建てて、立派な陵墓を築いた。

さらに、正祖は父を死に追いやった老論派の主要人物たちを厳罰に処している。父の無念は息子がしっかりと晴らしたのだ。

「朝鮮王朝最大の悲劇」とまで言われる思悼世子の死だが、その真相には不明な点が多い。そうしたミステリアスさは、後世の作家たちに人気が高く、物語の題材として取り上げられる点も多い。最近でも、ユ・アイン主演映画『思悼』や、イ・ジェフン主演作『秘密の扉』などが、思悼世子の死に秘められた謎に迫っている。

文=康大地【コウダイチ】

(ロコレ提供)

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