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<Wコラム>康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓古代史が面白い」仏教伝来(後編)

Wow!Korea / 2016年6月27日 19時21分

この縁起の中で、「物部氏が蘇我氏の建立した寺を焼き払い、難波の堀江に阿弥陀三尊仏を投げ捨てた」という記述に注目したい。

■善光寺に隠された秘密

『日本書紀』にも、仏教の受容を反対した物部氏が、仏像を安置していた寺を焼き払い、焼け残った仏像を難波の堀江に投げ捨てた、という記述がある。こうした一連の動きと善光寺の存在は大いに関係があるようだ。

善光寺の創建を立証する史料は残っていない。

境内から発見された瓦を調べてみると、7世紀後半に相当な規模の寺院だったことが推測される。

古い記録からは、8世紀中頃に善光寺の本尊が「日本最古の霊仏」として知られていたこともわかる。

一説によると、『善光寺縁起』に登場する本多善光は百済の王族の1人で、適地を選んで阿弥陀像を安置して仏教を広めたそうだ。

長野県の古い国名は「信濃(しなの)」。大和朝廷で「信濃」という国名が採用されたのは704年頃だ。

それ以前は「科野(しなの)」の字が当てられた。古代朝鮮の史料には、百済から日本に派遣された使者の中に「科野」という名がある。

長野県の広い範囲で渡来人の遺物や遺跡も発見されている。百済系と高句麗系など、この地には多くの渡来人が住んでいた。

この地に善光寺が造営されて日本最古級の絶対秘仏があるというのは何を物語っているのだろうか。

文=康熙奉(カン・ヒボン)

出典/『宿命の日韓二千年史』(著者/康熙奉〔カン・ヒボン〕発行/勉誠出版)

(ロコレ提供)

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