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<Wコラム>日本と違う韓国のビックリ~されど韓国の女性は強し!

Wow!Korea / 2016年7月8日 22時29分

韓国の地方を旅していると、元気良く食堂を切り盛りしている女性たちによく会う。しかし、かつての女性たちは身分的にもつらい境遇だった。(写真提供:ロコレ)

韓国の地方を旅していると、元気良く食堂を切り盛りしている女性たちによく会う。エネルギッシュで働き者。そんな姿を見ていると、「この国は女性が支えているんだなあ」とつくづく思えてくる。しかし、かつての女性たちは身分的にもつらい境遇だった。

■息子と娘の違い

身内の話から始めたい。

私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)の伯父(母の兄)は済州島(チェジュド)出身で初めて日本で医者になった人だと聞いていた。東京の医大に入るため、祖父は田畑をかなり売ったそうだ。

伯父の妹である、私の母。小学校も通わせてもらえず、結局は海女になった。

「小さいときから年寄りの面倒ばかり見ていた」

後年、母はそう言っていた。

同じ両親から生まれた息子と娘なのに、息子のためには土地を売って学問を積ませ、娘は学校に通わせずに働かせる。

恐ろしいほどの落差だ。

当時はそれが当たり前とはいえ、母が気の毒で仕方がない。

その母は1918年の生まれ。朝鮮王朝が滅んで8年後だ。

しかし、世相は朝鮮王朝時代とほとんど変わらなかっただろう。

■儒教が国教であるがゆえに

1392年から1910年まで続いた朝鮮王朝。この時代は儒教が国教だった。

儒教は、人間の序列を堂々と認める。

年下より年上、無学より学識者、そして、女より男が上、というわけだ。

その結果、朝鮮王朝時代には男尊女卑が貫かれた。

朝鮮王朝の前の高麗王朝(918~1392年)では、国教が仏教だった。

仏教には平等思想があり、高麗王朝時代には女性の権利も相応に守られていた。

しかし、朝鮮王朝に移ってから女性の立場はガラリと変わった。

父親が家族の中心となる家父長制度が厳格に守られ、女性の身分は低くなって出産・育児・家事に専念させられた。

学問をおさめる機会もなかった。しかも、女性は全国規模の官僚登用試験である科挙の受験資格もなかった。

この時代の女性を象徴する言葉が「三従之道」、「出嫁外人」、「七去之悪」である。

順に説明しよう。

「三従之道」は、「子供のときは親に従い、結婚したら夫に従い、老いたら息子に従う」ということだ。

女性は「従うこと」でしか生きる術(すべ)がなかった。

■つらい境遇の女性たち

「出嫁外人」は、嫁いで実家を出た女性はもはや実家の人間ではないという意味だ。「外人」という単語が生々しい。これは、実家に絶対に戻ってはいけないという戒めにもなっていた。

さらに、結婚した女性を苦しめたのが「七去之悪」である。

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